1)運動のきっかけ |
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日本モンサントは、アメリカで遺伝子組換え(以下、GM)大豆の商業栽培を始め、日本への輸出を始めた1996年の翌年(1997年)、私を含め、名古屋生活クラブ、中部よつ葉会(現在の食と環境の未来ネット)、あいち生協、くらしを耕す会、土こやしの会、自治労名古屋学校支部で「遺伝子組換え食品の表示を考える中部の会」(のち2000年7月「遺伝子組換え食品を考える中部の会」と改名)を立ち上げた。
さらに、モンサント社は、1996年12月、日本国内でのGMイネの開発を画策。その研究開発に白羽の矢が立てられたのが愛知県農業総合試験場であった。
2000年春、その事実が明るみに出ることとなり、我々の反対運動発起となった。
この運動の中心となった団体は私を含め、名古屋生活クラブ、中部よつ葉会(現在の食と環境の未来ネット)、あいち生協、くらしを耕す会、土こやしの会、自治労名古屋学校支部、漬物本舗道長であった。
2000年11月には「GMイネシンポジウム秋の陣」と題したシンポジウムを名古屋で行い、ジャーナリスト(天笠啓介さん)、愛知県の有機農業家(松沢政満さん)、愛知県農業試験場、農水省先端技術研究課、日本モンサント社長(山根清一郎さん)、河田昌東等の各氏による初めての公開シンポジウムを開催 |
2)GMイネ開発中止を勝ち取る |
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愛知県のGMイネ開発は全国的にも大きな反響を呼び、農業試験場の説明会要求や公開討論などを重ねた。2002年には全国に反対署名を呼びかけ、2002年11月17日に行われた「ストップ!遺伝子組換えイネ全国集会in 名古屋」では全国から58万筆もの署名があつまり、愛知県に提出した。
その半月後の2002年12月5日には愛知県議会で「GMイネの研究中止」が発表され、活動は勝利した。
この報道には世界各国からオメデトウ(congratulation)のメールが寄せられた。 |
3)GM作物の安全審査申請書のチェック活動(1997〜2000年) |
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GMイネ反対運動を続ける中で、国内で認可されたGM作物の安全審査に疑問を持ち、厚労省が公開している認可GM作物の企業からの安全審査申請書のチェック活動を開始した。
東京の青山にある公開施設にほぼ毎週1年間通い、モンサントの「ラウンドアップ耐性大豆に関する安全審査申請書」の5000頁に及ぶ資料を精査し、問題点を明らかにした。これにより国の安全審査体制のいい加減さや、安全性の根拠に対する大きな疑問が明らかになり、2000年9月には問題点を指摘した公開書簡を日本語と英語で発表した。
この企業からの安全審査申請書の全量チェックは恐らく我々が世界で初めてだった。この活動の中で、モンサントが開発した除草剤耐性ナタネが日本にも大量に輸入されている事が明らかになり、国内での繁殖の可能性に大きな不安を持った。
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4)GMナタネの自生調査 |
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そうした中2004年7月、農水省が茨木県鹿島港周辺でGMナタネが自生している、と記者発表した。
すぐに中部地方のナタネの輸入港である名古屋港と三重県四日市港に駆け付けると、8月にも拘わらず、国道23号線や港周辺にはナタネの花が満開であった。通常、国産ナタネは春に花が咲くと6〜7月には実をつけ枯れてしまう。これは明らかに輸入ナタネ(キャノーラ)だった。それ以前に、大豆のGMチェックのために、アメリカから輸入していた除草剤耐性チェックの試験紙で簡易検査すると、明らかにラウンドアップ耐性だった。
これをきっかけに、名古屋港と三重県四日市港から搾油工場のある松阪周辺までの国道23号線沿いに自生するGMナタネの観察を始めた。その数は膨大であり、放置すると周辺の畑で栽培しているアブラナ科作物との交雑が心配されたので、2006年からは調査と同時に「抜き取り」も開始した。会員に呼びかけ、30〜50人で毎年春と秋の二回、抜き取り調査を続けた。調査結果は、本ホームページに記載されている通りである。
この活動は、東京の天笠啓介さんらの「遺伝子組換え食品いらない!キャンペーン」と合同で全国で調査が始まり、毎年一回、全国での調査活動報告会が行われ、現在も続いている。
2008年にはドイツの生態学会が主催する国際会議でも報告し、学術雑誌「Environmental Science and Pollution Research」に論文を書き、日本におけるGMナタネの自生問題は世界からも注目されている。
このGMナタネ抜き取り調査活動は、三重県にあるGMナタネの輸入・搾油企業とも共同で行なわれており、港から工場までの輸送中の種子の落ちこぼれ対策など企業との共同という全国でも珍しい活動である。 |
5)学校給食でのGM食品禁止運動 |
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GMイネの反対運動の中から生まれた貴重な成果が「名古屋市の学校給食でGM原料を使わない」取り決めである。
この制度は名古屋市の学校給食の現場に関わっている職員たちが中心となり、市の教育委員会や親の会などに働きかけて獲得したもので、全国でも稀な取り組みである。2004年7月には「学校給食から始まる地産地消」シンポジウムが開催された。現在も随時、名古屋市教育委員会との懇談会を通じて現状の確認を行っている。学校給食でGM食品を使わない運動は、現在、韓国と台湾でも大きな広がりを持ちつつある。 |