テクノピア(技術ユートピア)?

 

2001年11月19日

アンドリュー・キンブレル

訳 山田勝巳

 

気になるハイテク見出しの集中砲火が激しくなってきた。

−医療チームが人のクローンを作ると発表−ナノロボットが自分を複製−アメリカ企業が人の遺伝暗号に特許を申請。

−研究マウスが胎児器官移植で人間化。

MIT研究者が人間の脳をコンピューターにダウンロードを試みる。

―五百万の子供が新世代向精神薬の服用。

 

  我々は、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー(超微小技術)、高度情報化、人工知能、ロボット工学、先端医薬品、その他無数の技術情報の洪水に曝されている。 予想通り、メディアの情報は、これらの新しい技術の企業や研究者を、健康と富、そして、そう、恐らく不死自体でさえ可能なユートピアの夜明けをもたらす者として伝えている。

 

  批判者は、環境へのとてつもない危害と社会の崩壊への警鐘を鳴らしている。 一体どういう事だろうか。 新しい技術は、助けではなく「だまし」なのか、事実ではなく空想科学なのか。 我々は、素晴らしい新世界、はたまたユートピアの入り口にいるのだろうか。 遺伝子工学、超微小技術、AI,その他の新しい技術への緊急な回答は、これまでの人間と技術の関係を見直すことによってのみしか得られないのではないだろうか。

 

  過去一世紀の間、技術がゆっくりと社会全体の現実となり、公私の生活の大部分に浸透してきた。 家庭、職場、交通、食糧、エネルギー、娯楽、余暇、教育、そして政府。 これら全てが技術の網の不可欠な要素になってきた。

 

  車、職場、テレビやコンピューター、電話、電子手帳、その他全ての道具に使う時間を総合すると、明らかに殆どの時間を科学技術と共に費やしている。 技術的職場(企業や官庁も)に働く人は、生活を成り立たせている技術システムを動かすことを要求される。 誰もが今まで以上に技術の檻の中で暮らすようになり、行動や意志疎通が機械やハイテク設備を介するようになってきている。

 

  原始の祖先は、全くの自然な環境で暮らし、近代の先祖は社会的環境で、そして、現代の人間は、主として、社会学者ジャック・エラルの言う技術的環境(technosphere)に暮らしている。 我々にとって生活、食糧、エネルギー、教育、娯楽そして進歩の糧は、自然や他の人々ではなく、人類の科学技術的行動なのである。

 

  自然と社会環境を技術で置き換えることは、少なくともかなりの人にとっては、人類の素晴らしい進歩を意味する物だ。 文筆家で技術者のサミュエル・フローマンは、「自然と頻繁に接することが人間の福祉に不可欠である証拠は一つもない。」と書いている。 更に続けて技術は、「冷酷な残虐性や酷い痛み、突然の死への恐怖、これら祖先が生きた自然の現実」から開放するというのである。

 

  尊敬を集めている学者O.B.ハーディソンは、もっと熱烈に技術ユートピアの可能性を塗りたてる。 彼は、現代を受け入れるには、「宗教信条を信じるように、シリコンデバイスを信ずる必要がある。」という。 技術が我々を「炭素監獄」から開放して、シリコン存在にすれば、人類は神のようになると予言する。「シリコン生命は不死だ。 宇宙の果てまで到達することも可能になる。」

 

技術ユートピア

技術ユートピア展望が、より現実離れして楽園的になるにつれて、地上の世俗的技術生活には、深刻な問題が起きてきている。 昔の恐怖から開放された物もあるかも知れないが、技術が取って替わることで、それ自体がこれまでにない恐怖を引き起こしている。

 

核技術が、人類、いや地球自体をも、コンピューターの誤作動でハルマゲドンに陥れることになってしまった。 工業技術は、人類を記録的短時間で初の地球規模の環境危機に直面させている。 過去20年間、市民は技術が生命圏に及ぼす影響の驚くべき新事実−地球温暖化、オゾン層破壊、種の絶滅、森林破壊、砂漠化で揺さぶられてきた。 

 

更に、技術空間が自然の世界を食いものにし破壊して、その人でなしのスピードで感情や精神を疲弊させている。 これが、地域社会や家族、精神的健康を筆舌に尽くしがたいほど破壊している。

 

  科学技術的行動による自然や社会環境の破壊は、歴史的ジレンマを生じている。 我々の社会、そして世界の人々が技術環境に全面依存し、強度に中毒している。 なのに、この技術環境は我々の正気ばかりでなく、地球上の生命の生存を脅かしている。 技術では生き残れないことが次第に明らかになってきているのに、それなしでの生活は考えられない。

 

  1970年代初め、既にこのジレンマを見通していたものがいる。 E.F.シュマッハーのような予言者に導かれ、彼らは自然や持続的地域社会、人間性と共存できる技術の開発を始めた。

 

  急速に創造物を破壊し尽くす巨大技術を、適正技術で置き換えることを求める小さなねばり強い運動が始まった。 工業機械の歯車として貶めるのではなく、自然と調和して「良い仕事」に費やす時間がもてる優雅な技術を夢想した。 高貴な信条の表現、宇宙的理解力の向上を可能にして、創造物や人間同士の癒しという真の本性に基づく仕事をすると想像していた。

 

しかし、技術優等生が、必然的に迫り来る巨大な技術危機に対して全く違った解決策を考えていたことは見通せなかった。 企業、学会、そして研究者は、現在の技術は生命と共存できないこと、そして科学技術的行動と自然や社会の存続の矛盾がかつてなく大きくなってきていることにゆっくりではあるが気づき始めた。 彼らも緊急に対策が必要だと分かった。

 

この歴史的ジレンマに対処するために、技術ユートピアンと企業スポンサーは、驚くべき決断をした。 この決断は、しかし、我々が熱心に主張してきた技術を変えて生き物と共存できるようにするというのではなく、全く違った自己本位なとんでもない物だった。 彼らは、技術システムに適合させるために生命を変え、現実を変えることを決断したのだ。

 

   現在の技術革命のとてつもない意味は、このおぞましい背景によってのみ完全に理解できる。 ここに本来ならば、目覚ましい筈のハイテク見出しと、多くの社会的不快感に対する鍵がある。

 

もし、我々が意味のない多重タスク処理で、生活が気違いじみて絶望的になったら、彼らの解決策は、人の必要に合わせてプロセスを変えるのではなく、非人間的な技術システムに適合するように我々を変えることだ。

 

 適正技術の脱線

こうして、我々は変えられた。 アメリカだけで5000万人が一日の仕事をやり通すために向精神薬を常用している。 ほぼ同じ数の人が夜寝るために薬を飲んでいる。 500万人の子供達が学校の一日を無事やり抜くために向精神作用性の薬を飲む。 必要な薬の量が格段に増えても、全然効かなくなっても、心配は要らないし、変わりにアルコールや違法な薬物の中毒になったとしても、遺伝子工学技術者が鬱病、不安、アルコール中毒、内気でさえ、その遺伝子をもうすぐ見つけて取り除いてくれる。

 

  我々は、既に人付き合い、親族、近所などの「事実上の共同体」で過ごす時間を、四六時中技術に献身する事で失ってしまった。 大勢のコンピューター科学者が、最終的には我々全てをシリコンチップにダウンロードして「仮想化」し、コンピューター化したオフィス機器の一部にしてしまおうとしている。 これが技術ジレンマの最終解決だ。 我々は、技術そのものになるという、我々自身を根本的に変えることによって、非人間化した生産システムを維持できる。

 

  このシステムにより効率的人材になることによって、自然な資源を失うことを心配しなくても良い。 超微小技術者は、技術環境でより効率的に役立つように世界を分子一つ一つから再構築すると約束している。

 

  地球温暖化も克服できる。 植物には、干魃や極端な天候に耐えられるように遺伝子操作が行われており、最終的には微生物から人間まで、全ての生命が技術汚染で生まれた新しい環境の現実に適応するように操作できるようになる。 「工場」畜産の残酷性も、飼育のやり方をより思いやりのある方法ではなく、動物の根本的素質を変えることによって克服できる。 パーデュー大学の研究者は最近雌鳥がより効率的な産卵「マシン」になれるように「母性本能」遺伝子を取り除くことに成功した。

 

この技術環境は、自然環境や社会環境を搾取し浪費するのではない。 自然と人間を技術のイメージに添って根本から作り直すのだ。 生命と現実そのものが技術環境に吸収され、システムの単なる構成要素になってしまうのだ。 

 

  この新たな第一歩で、世界観が根底から覆ることになる。 「自然(人間を含めても良い)は、主体の共同体から、物体の集合体に変えられている。」とトーマス・ベリーは言う。 創造された全ての秩序は単なる製品と見なされる。 つまり、混ぜたり、合わせたり、組み換えたりして技術システムの必要により都合の良いように使える分子や遺伝情報の集合体と見なせるのである。 酷い話だ。でもこういう背景からは驚くことではない。 アメリカはこの20年間(1980年に最高裁の1票差で)、全ての生命体を特許法101項で「機械又は製品」として定義し、生命に特許を認めてきた。

 

人間関係がなければ癒しは出来ないというのは心理療法では公理のようになっている。 技術と技術主義で殆どの自然な世界、人や人以外の社会、我々の精神自体も酷く傷つけてしまった。 この傷は、創造、社会、精神世界の深い関わりを再構築しなければ癒すことが出来ない。 しかし、技術による生命の乗っ取りを止めなければ、この根源的和解を永遠に妨げ、緊急に求められている癒しのプロセスを永久に閉ざしてしまうことになる。 新技術の成功(否、悲惨な破綻の可能性の方が高いが)によって、我々がこれまで認識してきた自然や人間性は、存在しなくなる。

 

   現在、技術の繭の中に安住している多くの人は、進行中の創造物の破壊と魂の陳腐化に「自閉的」になってしまっている。 この自閉症が、生命を技術化する巨大でめちゃくちゃな実験を支え意図せずに許しているのである。

 

  これ以上こんな事は続けられない。 決意と展望のある個人のそして多くの力を合わせた行動で、技術を再びコントロールすることを主張しなければならない。 技術システム中毒を克服して、技術の繭から抜け出さなければ。 完全に浸透し自然を破滅に追いやる前に、技術を制止するために、嫌だと言うために、政治的、法的、集団的行動を起こさなければならない。 

 

  我々はまた、違う未来を描かなければならない。 創造と人間性を、技術が決める悪夢の未来ではなく、自然と社会の必要が技術のあり方を決める未来を。 そのような明らかに困難な作業を通してのみ、自然と人間社会の関係を再構築でき、癒しを期待できる。

 

アンドリュー・キンブレル 国際技術評価センターの創設者で、「人体ショップ:生命と男らしさの神秘の操作と商品化」の著者である。

 

 

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