作物で作る薬は受け入れがたい真実だ
Nature Biotechnology
Volume 22: No2, p 133
2004年2月(編集者)
訳 河田昌東
アメリカでは遺伝子組換え小麦(特許つきの除草剤に耐性を持つ遺伝子を含む)が承認まじかである(訳注:この記事が出た後にモンサント社がGM小麦の開発中止を発表した)。ヨーロッパではイギリスの農場規模の栽培試験を通じて、GMトウモロコシが無傷でACRE(イギリス政府のGM作物諮問委員会)とEnglish Nature(イギリス政府の環境問題アドバイザー)の双方からゴーサインが出された。しかし、これらの作物の進展にも関わらず、バイテク企業は反バイテク派とのもうひとつの戦いに着手したようだ。がそれは自殺行為に等しい。彼らのビジネスを高圧的な告訴や怠慢ばかりか、不必要な商業的リスクにまでさらそうとしている。博士号が知的標準であるような企業が、過去から学ぶべきにもかかわらず、過去の単純な経験から学ぶことが出来ず、あるいは自らを適切に振舞うように仕向けることが出来ずにいる。
今回、彼らの格闘はGM作物で医薬品を作ることである。多くの企業、なかでもデイベルサ社、ダウ社、エオイサイト社、サンヤンジェネックス社、メリステム・セラピュウテクス社、マキシジェン社、そしてプロデイジ-
ン社は2002年にアメリカで栽培された130エーカーのコーン畑で医薬品を作る実験をしている。(遺伝子組換え作物の全栽培面積は3110万エーカーではあるが)。 他の組織は別の主要な作物を考えている。例えばコメ、ポテト、アルファルファ等である。ある者は期待し、別の企業の人は実際に植物による医薬品生産がGM作物として良いイメージだと考える。 結局、新たな安い医薬品は消費者が欲しい類のものである、と。
問題は、反GM活動家たちはすでに医薬品または医薬品中間体を食用や飼料作物で作ることは、医薬品が穀物の流通や花粉による遺伝子流出(少なくともトウモロコシでは)、あるいは、人間が通常の作物と医薬用作物を見ただけでは区別できず見落としてしまう、という偶発的な事件などで、潜在的な危険性を排除できない、という議論をしていることである。2002年に大豆と非GMコーンが豚のワクチン用組換えコーンで汚染したプロデイジーン社の「汚染事件」はまさにこれがありうることだということを示した(Nature Biotechnology:vol.21,3,2003)。 この考えは企業が考えるような反GM派だけのものではなく、我々は潜在的に有毒な物質が食用植物に存在することを懸念すべきなのである。
結局、これは従来の医薬品製造業者またはバイオ医薬製造業者が、自分たちが作った薬の錠剤をキャンデーの包み紙か小麦粉の袋に包み、あるいはその製品の山を無意識に敷地のフェンスの外に保管することとどう違うのか?
困難のもとは実際に薬用作物が栽培されるようになったら、バイテク企業とその支持者たちのある者は、分別よりは主義に基づいた自由意志の立場をとるように見えることだ。彼らは、どの企業も好きなテクノロジーを開発し、欲するところで開発を行う固有の権利を持つ、と主張する(もちろん安全性が前提だが)。この固有の権利というのはアメリカのコーンベルト地帯で医薬品用コーンを栽培する権利である。2003年始めに、立場を決めて以来、アメリカのバイオ企業連合(BIO)は今もこの自由主義の立場を堅持している。 しかし、もしある企業が実際にそれをやりBIOが認めれば、それは広範な会員企業の長期的な利害を代表することになる。それは、それほど遠くない将来に、薬用植物の商業生産の見通しが期待通り、反対派の政治的目的やあるいは社会的な懸念で妨害されることがないことを保証しようとすることに他ならない。BIOの役割は、真っ向から衝突する方向を示すことではなくて、障害物をのり越え会員を導くことでなければならない。
予想される障害とは:薬用作物と食用作物の両立で規制と監視がますます厳しく、大変になること。 反対派が法的手段を通じて薬用作物企業を直接攻撃するだろうこと。 彼らはまたコーン生産者に対する一般的な圧力によって間接的に企業を攻撃するだろうこと。生産者と農家という利害関係グループは彼らの市場が脅かされれば速やかに戦いから離脱するであろうこと。ヨーロッパのコーン生産者は食用コーンと薬用コーンの潜在的な混合を非難するであろうこと。薬用コーンの委託販売が行われればそれは小鳥の餌になり、そしてそれはたまたま地球の友のランダムサンプリング試験に引っかかるかもしれないこと。「GMに反対する鳩愛好家たち」は薬用コーンに反対して著名な鳥類学者たちを仲間にし、テクノロジーに遅れた国の政治家たちが、技術的なメリットは無いにもかかわらず大衆的アッピールを狙ってトレーサビリテイーなどの貿易の関税障壁を導入すること。等など。
要するに、GM食品で起こったすべての茶番劇が再現され、この時ばかりはGM食品よりはるかに正当性を発揮するだろうということだ。
そうした混乱に先手を打つことは可能だ。鍵となるのは食用作物と薬用作物の分別を完璧に行う手立てを講じることだ。それは(両方の作付けの)緩衝帯を広げることでも、農場の機材を特別に洗浄することでも、監視回数を増やしたり、昨年アメリカ農務省が導入したような新たな基準を作ることでもない。
そうではなく、分別が効果的に働きうる明確な、非技術的なレベルの方法がある。第一は地政学的方法である。もし、医薬品が食用作物で生産されるなら、それは非薬用作物から距離を置いて栽培されるべきである。薬用作物は日用品ではない。即ちその品種が開発された気象条件下で最大の収量を上げる必要が必ずしもない(単純計算で、現在のような低収量でもアメリカの全コーン生産量の0.19%あれば地球上のすべての糖尿病患者にインシュリンを提供できる)。
従って、薬用コーンをカリフォルニアのコーンベルト地帯やニューイングランドで栽培すべきでない。もっと良いのは、薬用作物を食用や飼料用の作物の栽培されていない孤島で栽培すれば、もっと地政学的な分別が出来る。例えば、すでに薬用大麦を開発し、アイルランドで栽培する計画を立てている企業もある。アイルランドは薬用大麦を栽培できるが今は栽培していない。
第二のそして恐らくもっと効果的な分別方法は文化的分別である。医薬品を作るために食用植物を使わなければ良い。何故? 現在行われているのは食用作物だからである。これは生物学的区別ではなく文化的区別であって、国民が感じ、反対派が言いたい懸念の多くは薬用作物の出所である。要約すれば、主たる食用作物が薬用遺伝子の宿主として魅力的な理由は、その栽培方法・収穫方法が良く分かっており、その遺伝子操作の方法がわかっているからである。薬用専門植物を育てよ。シロイヌナズナ(訳注:ぺんぺん草)か亜麻、あるいは浮き草が良い。