国内で開発中の遺伝子組換えイネの問題点
河田昌東(2006年4月8日)
2002年に愛知県農業総合試験場がモンサント社と共同開発していた除草剤耐性イネの開発が消費者と生産者等の強い反対で断念して以来、日本人の主食であるコメの遺伝子組換えについて関心が高まっている。2003年には岩手生物工学センターが耐寒性遺伝子組換えイネの開発をやはり全国の市民の反対で断念した。しかし、農水省はイネの遺伝子構造解明に関わった日本が、遺伝子組換えでも積極的に開発研究をすべきだ、として国内で様々なイネの遺伝子組換えを推進している。ここでは、現在実用化に向けて研究が進んでいる3つの遺伝子組換えイネについて、現状での問題点を指摘したい。
(1) スギ花粉症予防効果ペプチド含有イネ
これは、(独)農業資源研究所が開発中のもので、通称「スギ花粉症対策イネ」として知られている。スギ花粉症は現在国民の10%が患者と言われ対策が求められている疾病である。この研究は医学的には、「減感作療法」というアレルギー治療の変形と言える。アレルギーの原因となるアレルゲン・タンパク質を長い時間かけて少量ずつ体内に繰り返し注入し、体をアレルゲンに慣らすのである。そのメカニズムはまだ充分わかっておらず、効果も5〜60%、人によっては副作用による急性アレルギー・ショックの出ることもあり、この治療を行う病院も限られている。スギ花粉症対策イネは、スギ花粉のアレルゲンをイネに作らせ、食事を通じて体内に取り込み、減感作を行おうとするものである。
日本のスギにはCryj-1とCryj-2と呼ばれる2種類のアレルゲンが知られている。アレルゲンは体内に入るとそれを認識するT細胞と結合し、アレルギー反応の引き金を引くが、アレルゲンのアミノ酸配列の全てが必要なわけではなく、T細胞と結合する部分のみが反応に関与すると考えられている。その部分を「エピトープ」と呼ぶ。Cryj-1には3個、Cryj-2には4個のエピトープがある。それぞれ12〜19個のアミノ酸からなる短いペプチドがアレルゲン・タンパク質の中に散在している。
花粉症対策イネは、この7個のペプチドのアミノ酸配列に対応するDNAを合成し、互いに連結してイネの遺伝子の中に入れ、エピトープだけからなる人工タンパク質をイネが作るようにしたものである。
● 問題点1:イネで医薬品を作ること
これはイネに医薬品を作らせる世界ではじめての例である。食事を通じて治療効果を求める、という一見医学的には見えない方法だが、これは明らかに薬剤を飲む治療行為であって、従来の安全審査(それ自体問題のある、実質的同等性が保証されるかどうか)では対応できない。これを放置すれば、開発がまず先行し安全審査が後から追認する、という悪循環に陥る危険がある。現在アメリカでも進行中の医薬品を農作物で作らせる、という問題と同質の問題を内包する。
● 問題点2:副作用の心配
それ自体アレルゲンなので、減感作療法でも問題となる副作用(急性アレルギー・ショック)が心配される。通常の減感作療法では厳密な事前検査が行われるが、「コメを食べる」という行為自体が無責任な治療行為をもたらすことになる。
● 問題点3:抗生物質耐性遺伝子マーカー
この花粉症対策イネの組換え遺伝子には大腸菌由来の抗生物質耐性遺伝子(ハイグロマイシン耐性)が入っている。これは体内で抗生物質耐性菌の発生を促し、耐性菌蔓延の引き金を引く可能性がある。研究所側は、本番ではこの遺伝子を排除するとしているが、開発段階から排除しなければ、本番で他の遺伝子への影響などが異なる恐れがあり、まったく同等のものが出来る保証はない。
● 問題点4:他の遺伝子への干渉
これまでの研究によれば、この組換え体イネは、エピトープ・ペプチド遺伝子を挿入した結果、他の遺伝子が活性化し、グルテリンやシャペロンなど他のタンパク質が多量に生産される。前者はコメのタンパク質の主要なもので、低タンパク質が要求される腎臓病患者などには有害で、通常ルートによって販売されれば危険性が伴う。他のコメ・アレルゲンが増加していないかどうかなど厳密なチェックも必要である。
● 問題点5:問題のすり替え
研究所の実験によれば、効果を示す証拠として行われた実験は、非花粉症マウスにこのコメを食べさせた後に、スギ花粉を噴霧したところT細胞や抗体IgEの濃度が減少した、という。これを実際の治療であてはめれば、非花粉症患者(?)があらかじめこのコメを食べておけば花粉症になりにくい、という結果であって、花粉症患者の治療にはならない。
(2) デフェンシン導入耐病性イネ
これは農水省傘下の新潟県北陸研究センターが開発中の、「ディフェンシン」という抗菌タンパク質の遺伝子を<からし菜>から取り出し、イネに導入していもち病や白葉枯れ病などに耐性を持たせたイネである。実際はこの遺伝子は<からし菜>からではなく、コマツナからとったとされる。ディフェンシンは全ての動植物が持っている(勿論人間も)。細菌やカビに感染するとディフェンシン遺伝子が働き、抗菌タンパク質ディフェンシンが作られる。即ち、免疫と同じように働く重要な生物の防衛システムの一つである。免疫とは違い、特定の相手ではなく幅広い細菌やカビに効果があり抗生物質より相手が幅広いのが特徴である。下等動植物も含めて多種類(10〜50種類)のディフェンシンを持ち、感染症と戦う手段を細胞に提供している。そうした機能を利用し、新たな抗生物質として医療分野で利用しようと研究が進んでいる。ディフェンシンはアミノ酸100個以下の小さなタンパク質で、塩基性アミノ酸が多く、タンパク質はプラスに帯電しているので、相手の細菌のマイナスに帯電している細胞膜に結合し、細胞膜のイオン透過性を破壊し(細胞膜に化学的な孔をあける)相手を殺すと考えられている。普段、ディフェンシン遺伝子は働かず細菌などが感染して初めて遺伝子のスイッチが入る「誘導タンパク質」である。
● 問題点1:耐性菌の出現
抗生物質多用による耐性菌の出現が、治療に大きな支障が出ることは病院での院内感染や家畜飼育の現場ですでに大きな問題になっている。細菌やカビの側が細胞膜に突然変異を起こし、ディフェンシンが結合できなくなればその効果は失われるのである。普段は眠っているディフェンシン遺伝子が、組換え体ではその誘導機能が失われ、常時イネの細胞で合成され環境に放出される。そうなると、いもち病菌や白葉枯れ病菌が耐性をもちイネに効き目がなくなるばかりでなく、環境中に存在する多種類の細菌(病原菌を含む)が耐性を獲得してしまう恐れがある。中には人間に感染する細菌も含まれるので、これまでディフェンシンで対処していた病原性耐性菌が発生すれば、予期しない感染症も起リ得る。これまでの研究で、サルモネラ菌が動物細胞のディフェンシンに耐性になった例や、人間の口腔内細菌がヒト・ディフェンシンに耐性になった例、酵母菌や赤パンカビが植物ディフェンシンに対し高い耐性を獲得したという研究がある。
害虫抵抗性トウモロコシ(Btトウモロコシ)は土壌細菌の殺虫遺伝子を組み込んだものだが、Btタンパク質はディフェンシン同様、昆虫の腸管細胞の膜に化学的な穴をあけ、イオンの透過性を破壊して昆虫の幼虫を殺すことが分かっている。すでに明らかなように、Bt作物には容易に耐性昆虫が発生するので、アメリカEPA(環境保護庁)はBt作物の栽培に際し、耐性害虫の発生抑制のために、隣接して非組換え体の栽培を義務付けている。こうすれば雄も雌も耐性になって、耐性の子孫を生む確率が減ると考えられるからである。Btタンパク質と作用機作が同じディフェンシンは、相手が細菌やカビなど世代交代がはるかに昆虫より早いので耐性菌の出現は時間の問題である。
● 問題点2:基礎研究の不在、他の遺伝子との干渉
ディフェンシンは当然ながらイネ自身も持っており、数種類の存在がわかっている。アメリカの遺伝子組換え企業パイオニア-ハイブレッド社は2005年4月に2種類のジャポニカ米のディフェンシンに対し特許をとっている。コマツナ・ディフェンシンが導入されたイネでイネ自身のディフェンシンの発現がどうなるのか、など基礎研究がないまま商業化を急ぐのは問題である。イネ自身のディフェンシンも当然、自然界で病気と戦う手段となっているはずで、組換えの結果もし本来のディフェンシンの発現が抑制されれば、いもち病には強くなったが他の病気に弱くなった、という結果も起こりかねない。導入遺伝子の宿主遺伝子との相互作用の問題はこれまで遺伝子組換え作物で決定的に欠けていた問題で、ディフェンシン組換えイネでその問題があらわになるかもしれない。
(3) 鉄欠乏耐性イネ
これは、東北大学農学部と東京大学農学部が共同開発しているもので、アルカリ土壌で鉄分の吸収が悪くイネが栽培できない土壌でも生育できるようにした組換えイネである。国内ではこうした土壌は少なく、事実上アジアやオセアニア、中南米やアフリカなど海外での実用化を目指している。
導入遺伝子は、大麦の根から分泌される「ムギネ酸」と呼ばれる有機酸を合成する酵素群の遺伝子(群)である。大麦はムギネ酸を分泌することで、アルカリ性で不溶性になった土壌中の鉄イオンを結合し、それを根から取り込む働きをする。ムギネ酸合成酵素の遺伝子は土壌中の鉄欠乏をキャッチし、遺伝子のスイッチを入れる誘導酵素遺伝子である。組換えイネは6種類が作られているが、それぞれムギネ酸合成酵素遺伝子群の一部又は複数個を同時にイネに組み込んだものである。複雑なムギネ酸合成酵素群のどれが効果的なのか明らかでない。そのため6種類同時に第一種使用規程承認申請書が出されている。
● 問題点1:不必要な選択マーカー遺伝子
3種類の選択マーカー遺伝子が組み込まれている。大腸菌由来のハイグロマイシン耐性遺伝子とネオマイシン耐性遺伝子、それに大腸菌のGUSレポーター遺伝子である。このうち、組換え体作出に実際に使われたのはハイグロマイシン耐性だけで、ネオマイシン耐性は事実上不必要であったにも関わらず、市販の組換えプラスミドが便利であるという理由で使われ、2つの抗生物質耐性遺伝子が組み込まれている。また、GUS遺伝子は、組換え体の確認に特殊な色素で細胞が染まる性質を利用したもので、組換え体作出後は不要なものである。抗生物質耐性遺伝子はすでに知られているように、体内で耐性菌を作る恐れがあり、次第に使用が控えられてきているもので、この研究ではこうした配慮に欠ける。総じて、研究レベルの便利さが優先され商業化された場合の問題点が無視されている。同様のことは、これらの選択マーカー遺伝子のプロモーターや終止配列に、カリフラワーモザイクウイルス(CaMV35S)のプロモーターと土壌細菌Agrobacterium由来のNOS3‘配列が使われていることにも現れている。
● 問題点2:アレルゲンの危険性
ムギネ酸合成酵素のアミノ酸配列には、複数のアレルゲン・タンパク質と共通のアミノ酸配列があり、これを食することで新たなコメ・アレルギーを生ずる恐れがある。具体的には、ブタクサ花粉のアレルゲンと共通配列を持つものが2種類(Amb-a1とAmb-a5)、シラゲガヤ花粉アレルゲンと共通構造(Hol-15)、コウジカビ・アレルゲンと共通構造(Asp-n14)、イエカ・アレルゲンと共通構造(Aed-a2)を持つ配列がある。コメを食べてブタクサ・アレルギーになれば、治療に混乱をもたらす恐れがある。こうした基礎研究が必須である。
● 問題点3:海外の野生種との交雑
国外での野生種との交配可能性。圃場試験では、国内に交配可能な野生イネが存在しないことをもって環境安全性を主張している。しかし、実際にこのイネが栽培される海外では、具体的に交配可能な野生種が存在する。例えば、アジアとオセアニアにはOryza nivara、中南米とアフリカにはOryza
rufipogon,とOryza barthii といった、ジャポニカ米Oryza sativa と交配可能な野生種がある。実際にこの組換えイネが海外で栽培されれば、その性質から他の野生種との競合で優勢種となり交雑で雑草化しうるのであって、これらの国での生物多様性にとって脅威となる。カルタヘナ法上も問題であり、こうした海外での栽培認可が下りるかどうか疑問である。国内での環境安全性は海外でも安全性を保証しない。
● 問題点4:代謝に与える影響
ムギネ酸合成の出発点になるS-アデノシルメチオニンという物質は、細胞内の代謝で数多くのメチル化反応に関与するキー代謝産物である。従って、ムギネ酸合成にこの物質を使うことで、他の代謝に大きな影響を与える可能性がある。細胞成分にどのような変動があったか、などこうした基礎的な研究がまず必要である。
● 問題点5:実質的同等性は守られたか
公開された実験結果では、非組換え体の穂の重量(平均11.5g)に比べて、組換え体の穂の重量(平均7.5g)は明らかに小さい。これはコメの収量に直結する問題であるにも関わらず統計的には有意差なし、と結論されている。少ない試料数を無理やり統計的処理で差がないとする手法に問題はないか。
最後に、3種類の遺伝子組換えイネにはそれぞれ固有の問題があり、同一には論じられないが、共通して言えることは、実際に野外栽培された場合に、周辺の非組換えイネと一定の割合で交雑が起こり、組換え遺伝子の拡散が生ずる、ということである。特に、イネは大規模栽培が行われる作物であり、その危険性は大きい。