科学 VOL.75 NO.1 JAN.2005

岩波書店

特集 食の安全 BSE対策】

 

現状と問題点(抜粋)

福岡伸一(青山学院大学・理工学部・分子細胞生物学)

 

全頭検査見直し論  (略)…P.48

全頭検査の科学的意義 ()

見直し論の問題点     …P.49 

 全頭検査見直しのロジックはこうである。「現在のBSE1次検査、すなわちエライザテストの検出感度には限界があり、かりに検出限界以下の感染牛がいたとしてもこれを検出することができない」。検出限界以下のケースを検出できないのはすべての検査にいえることであり、これは全くの同語反復である。しかも、だから若い牛から感染を検出することはこんなんである、という結論にはならない。感染マーカーである異常型プリオンたんぱく質が特定危険部位に蓄積してくるのは、年齢に依存するのではなく、その動物がいつ、どの程度の量の汚染源を摂取したかに依存する。

 これまで見てきたように、感染は多くの場合、その動物が出生した直後、脆弱性の窓が開いているごく早期に起こっているのだ。だからその時の感染量が大きいか、あるいは宿主の何らかの条件によって病原体の増殖速度が速ければ、たとえ年齢が若くとも潜伏期が短くなり、早い月齢で検出可能な量の異常型プリオンたんぱく質が蓄積されるはずである。それが、日本で発見された21ヶ月、23ヶ月症例である。かりにこれらの牛が19ヶ月齢で検査を受けたとしてもその時点で異常型プリオンたんぱく質が検出できた可能性は十分にある。異常型プリオンたんぱく質の蓄積はある月齢を超えて急激に起こるものではないからである。

 通常、異常型プリオンたんぱく質の蓄積は発症(神経症状が外形として顕在化する)よりも数ヶ月先行して検出できるから、このような牛は、十数ヶ月齢で検出可能域にあったと考えられる。したがって監査の限界値を月齢で線引きすることによって、検出限界以下の牛を排除することはナンセンスだし、不可能なのである。むしろ研究者が提言すべきことは全頭検査の緩和ではなく、検査感度向上の努力である。そして検査すべき対象組織を脳だけでなく、潜伏期に感染体が先行して現れる回腸や扁桃腺に対しても行うべきだということである。

 

(後略)

 

特定危険部位という考え方の陥穽

 BSE感染の有無にかかわらず、特定危険部位を除去した肉は安全、という意見がある。しかし、このような考え方は誤っている。全頭検査を緩和、もしくは廃止しても、いわゆる特定危険部位さえ取り除けばBSEがヒトへ感染するリスクを回避できるとは全く言えない。それは特定危険部位の除去が技術的に完全には実施できないから、ということではなく(もちろんこの問題も大きいのだが、それだけではなく)、BSE病原体の性質から考えて、特定危険部位だけに病原体が限局されるという見方に危険があるのだが、この問題について討議してみたい。

 クールー病の発見でノーベル賞を受賞したガイジュセックやギブスらが関わって作成された1996年のWHO(世界保健機関)勧告では、「スポンジ状脳症の症状を示すいかなる動物の部分も、ヒト、動物いずれの食物連鎖にも入れてはいけない」と、全身の廃棄を指定している。

 BSEにおける特定危険部位の問題を、フグの毒になぞらえて、毒を含む内臓部分を除去しさえすれば安全である、と示した解説記事もあった。BSEの病原体をフグ毒と同列に論じるのは正しくない。フグの毒と違って、BSE病原体は宿主の体内を自由に移動することができ、かつ増殖することができるのである。

 現在、牛の特定危険部位として、脳、脊髄・脊柱、目(網膜)、扁桃腺、遠位回腸が指定されている。これはイギリスで行われた動物実験をもとにしたものである。この実験を詳しく見てみよう。生後4ヶ月の牛30頭に、BSE患畜から採取した脳100gをエサに混ぜて食べさせた(実際の感染は、出生直後のほ乳期。つまりまだ消化管機能が不完全な時期に、汚染肉骨粉を混ぜた代用飼料(スターター)を食べさせたことによって起こったと考えられるから、この実験条件はすでにモデル実験としては現実条件からズレがある)。以降、数ヶ月おきに牛を3頭ずつ処分し、様々な臓器・組織を採取した。これをすりつぶしてマウスに投与しバイオアッセイ(マウスが発症するかどうかを観察)した。感染後6ヶ月、牛の遠位回腸部分に感染性が見出された。回腸の感染性はかなり強く、18ヶ月まで継続して存在していた。しかしこの時点では、脳や脊髄などに感染性は認められなかった。このことから消化管から侵入した病原体はまず回腸に達し、ここに留まって増殖していることがわかる。実はこのあと非常に奇妙な現象が起こるのである。22ヶ月、26ヶ月時点では、採取されたいかなるサンプルからも見出されなかったのだ。もちろん回腸からも。これは一体なにを意味しているのだろう。おそらく回腸で増殖した病原体はここでいったん散開したのである。全身に広がって希釈されたため、牛からマウスへのバイオアッセイでは感染性を検出できなかったのである。しかし病原体は決していなくなったのではない。その証拠に、32ヶ月の時点で脳、脊髄に極めて強力な感染性が出現するのである。つまりいったん散開した病原体は一斉に中枢へ侵攻をかけたのである。見逃してならない事がもうひとつある。36ヶ月時点には、脳、脊髄にあった感染性は三叉神経節におよぶ一方、回腸に再び感染性が現れていることだ。脳に至った病原体はあふれ出て再び末梢部分(回腸)に戻っているのである。

 このように病原体は、感染時からの時間経過によって極めてダイナミックに宿主の身体を動き回っているのである。したがって、患畜のどの部分に感染性があるかは、どの動物が何時、どれぐらいの感染源に接触し、そこからどれぐらいの時間が経過しているかによって異なる。しかも病原体はたえまなく増殖を続けているので、宿主の感染量は増大し続けているのだ。ごく最近、異常型プリオンたんぱく質が末梢の神経や副腎にも存在するケースが報告された。このように病原体がありうる部位は可変的であることを忘れてはならない。

 現在、特定危険部位と呼ばれている、脳、脊髄、回腸、扁桃腺の各組織に、全体の感染性の99%以上が存在しているから、これを取り除きさえすれば安全が確保されると言われている。が、それはあくまで感染の後期、つまり発症の直前のことであり、上記の実験のラストステージ(3640ヶ月)のデータをもとに作られた基準である。上述したように感染初期には回腸に感染性のほとんどは集中し、感染の中期には病原体はいったん身体のいろいろなところで拡散してしまう。WHOが、特定危険部位ではなく、感染牛のすべての部位が食物連鎖に入る事を阻止するよう勧告しているのはそのためである。

 

血液感染の可能性

 スイス・チューリッヒ大学のアグーチらの研究から、病原体は消化管をすり抜けた後、最初にある種の免疫組織に取り付く事が分かっている。感染初期に病原体が回腸や扁桃腺に集まることも、病原体が免疫細胞に取り付くことから説明できる。回腸や扁桃腺は末梢における重要なリンパ組織であり、リンパ球が身体の各所から集まってくる場所である。病原体は宿主のリンパ球を乗っ取り、その中で増殖しながら、脳へ侵攻する機が熟するのを待っているのだ。BSE病原体がまずリンパ球を手なずけてしまうというこの観察から重要な推論が導き出される。病原体の拡散の問題である。

 

(後略)

 

 

 

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