02/09/15
ニッポン消費者新聞記事
ロングランシリーズ
消費者問題はいま
提言2002
本庄重男氏
(国立感染症研究所名誉所員)
家畜への応用は即、中止を
基礎研究が不十分、『動物工場』は大問題
体細胞クローン技術の家畜への応用を推し進める農水省の姿勢に警鐘を鳴らす
「基礎生物学的立場での体細胞クローンの研究には反対しない。いわゆる実験動物類(たとえばマウス)でのクローン研究は、生命科学の発展に役立つと考えます。だが、家畜類やヒトでのそれは、技術的に危険性が大きく、生命倫理にも反するものです」。
農水省はこの8月、体細胞クローン牛の安全性を調べた結果を発表した。調査は、生乳、肉、血液の成分や性状を分析するとともに、生乳と肉を原料に使用した配合飼料をラットに給与した飼養試験を実施。その結果、通常の牛との間に「生物学的有意差は認められない」との見解を示した。今回の発表は受精卵クローンに続き、体細胞クローン牛が食卓にのぼる日は遠くないとの印象を与える。
「食べ物の安全性というのは本来、そんなに短期間に結論を出すものではない。ネズミやラットでなにも異常がなかったからといって、その結果をそのまま人に外挿(当てはめること)はできない。
体細胞クローン技術で生まれた牛はなぜ、死産、生後直後死などで50%以上も死んで、その他に障害も出るのか。この事実には、いろいろな問題が含まれている。分子生物学の単純な発想が通らないほど複雑である生物の体が、クローン技術で思いもかけない反応を引き起こすということを問わず語りに語っている」体細胞クローン技術では、卵管細胞や耳の細胞といった無数の体細胞を試験管内で培養し、そのうちごく少数の体細胞から核を取り出し、これをあらかじめ、核を除いた未受精卵に移植して人工的に受精卵のような卵をつくる。そして、この卵を雌の子宮(借り腹)に移植し、自然の妊娠と同じ経過を辿らせる。
「体細胞クローン技術は本来、有性生殖動物である家畜を、無理やり無性的に作り上げようとするものです。そして、それぞれ固有の特性をもつように分化の完了している体細胞を逆分化させ、再び未分化の細胞に戻そうという点で、生命の流れに逆らう危険な技術です。私の知る限り生体の細胞で逆分化が起きるのはガン化の過程のみです。
そして、この体細逆分化機構の過程や実態は、ほとんど解明されていません」。
体細胞クローン技術には、もうひとつ、見逃せない懸念がある。それは生物多様性の保全にも反する点だ。
「農業植物では、単一品種が広汎に栽培されると、流行病の発生で、その品種は絶滅に瀕するような被害を受けることはよく知られています。逆に多様な品種が栽培されていれば、被害は限定されます。体細胞クローン生物は、同一品種の生物よりも、はるかに遺伝的均一度が高い病気気にやられる時は、いっせいにやられてしまう。遺伝子構成のまったく同じヒツジやウシばかりになった時は、それらの種の衰滅が始まる時でもあるのです」。
体細胞クローン技術が、遺伝子組換え食品と同様、消費の意向をよそに推進されようとしている背景には、次のような事情もある。
「研究者の社会は、今競争が非常に激しくなっている。いろんな民間会社が財団を作って数千万、憶単位の資金を特定の研究に提供している。外からいかにたくさんの資金を獲得しているかが、研究者の所内の地位を保障し、学会での名声を左右するまでになっている。現場の研究者は、研究費の提供を受けるために申請書を作成し、さらに提供を受け続けるために報告書を書かねばならない。そんななかでは、学問的にきちんとした成果を上げるべく、落ち着いて研究に取り組むことができない。世の中に多少とも役立っているという、研究者としての喜びや満足感を得ることも難しくなっているのではないかと、思います。消費者運動は、消費者にとって必要なのはもちろん、研究者のこうした姿勢を変えていくものとしても非常に大事だと思う」
「そもそも、すでに十分においしい牛肉があるのに、なぜ体細胞クローン牛を食べなければならないのか。クローン技術には、まだまだ、わからないことはたくさんある。クローン技術に遺伝子操作技術を組み入れて医薬品や移植臓器を作り出す『動物工場』については、安全上、そして生命倫理上の問題がさらに大きい。いわゆる実験動物レペル、ラットやモルモットの小動物で、もっと基礎的な問題をきちんと研究すべきです。家蓄へのクローン技術の応用は即、中止すべきである、と私は思います」。
本庄重男(ほんじょうしげお)
1929年東京都生まれ。東京大学農学部卒、農学博士。国立予防衛生研究所・筑波医学実験用霊長類センター所長、愛知大学教授などを歴任。国立予防衛生研究所名誉所員、バイオハザード予防市民センター代表幹事、日本霊長類学会名誉会員。おもな著書に、「バイオテクノロジーの危険管理」(翻訳)などがある。