遺伝子操作は何故危険か(ヒト・ゲノム計画の背景)

 

バリー・コモナー

(クイーンズ・カレッジ自然システム生物学センター創立者)

訳 河田昌東

 

ヒトゲノム計画の成果に関する最近の報告は、分子遺伝学とそのバイオテクノロジーへの応用における矛盾を照らし出している。ヒトゲノム計画が1990年に公表されたとき、そのデイレクターのジェームス・ワトソンはその目的を「あなたがハエや人参のような生命を持つのか、あるいはヒト固有の生命を持つのかを決める、生命の究極的な記述・・・である」と述べている。この目的は、数十年間生物学や医学の研究の中心となってきた一つの考えに基づいている。ワトソンと共にDNAの二重ラセンを発見したフランシス・クリックが「セントラル・ドグマ」と奉ったように、生き物だけが持つ遺伝という性質を分子の次元に還元しようというものである。

 

生命体の遺伝子DNAは、一まとめにしてゲノムと呼ばれるが、それらはいずれも個々の蛋白質の合成を支配している。蛋白質は生化学反応を通じて生物の遺伝的形質を作り出している。遺伝子DNAは4種類のヌクレオチドと呼ばれる成分が直線状に並んだ「遺伝コード」から出来ている。何段階かのステップを経てこの遺伝コードは特定のアミノ酸配列を決定づけ、これらのアミノ酸は互いにつながり合って一つの蛋白質分子を形成している。最後に、この固有のアミノ酸配列によって、蛋白質はそれに対応した遺伝的形質を生ずる特異的な生化学反応を行うのである。

従って理論的には、人間の遺伝子をすべて同定し数え上げ、構成するヌクレオチドの配列を決定すれば、ゲノム・プロジェクトは、遺伝子と蛋白質の間の1対1の対応関係を利用して、蛋白質の分子構造を明らかにし、我々の遺伝形質を決めているヒトの蛋白質の機能を明らかに出来たはずである。

 

今年の2月に、ヒトゲノム計画の主要な部分が解明されたと発表された。それは「予期しない」ものであった。精力的に研究が進められた結果は、ヒトの遺伝子がたった30000個しか見つからなかったのである。期待したように、遺伝子と蛋白質が1対1に対応していれば10万個以上あることが分っているヒトの蛋白質の数からすればあまりにも少なすぎた。その上、この分析によれば、人間はカラシナに似た雑草(25000個の遺伝子を持つ)程度の遺伝子しか持たず、ショウジョウバエや原始的な線虫の2倍程度しか遺伝子を持っていないことになる。もし、人間の遺伝子の数が蛋白質の数に比べて少なすぎ、雑草と人間の大きな遺伝的違いを説明できなかったら、遺伝子が我々に語りかけるもよりももっと沢山の「生命を記述する究極のもの」があるに違いない。従って、ヒトゲノム・プロジェクトの成果は、その思想の裏付けとなってきたセントラルドグマに基づく科学的予想と矛盾し、少なくともその指導理念に決定的ダメージを与えたことになる。

 

逆に、この「予期しない」結果は約20年前の発見から予想されたものであった。

ヒトゲノム計画が作られるよりはるか前の1982年に行われた実験は、1個の遺伝子を構成するDNAを切出し(スプライシングという)、その後様々なやり方で再構成すると、一つの蛋白質だけでなく様々な種類の蛋白質が出来ることを示していた。 例えば、内耳の蝸牛殻にあって音を感ずる細胞の数百個の蛋白質は、すべてたった1個の遺伝子のスプライシングによって作られている。従って、この結果は1個の遺伝子が1個の蛋白質の分子構造を支配し、それによって個々の遺伝的形質を決めているという予想に反するものである。

これは過去40年間に行われた、セントラルドグマの基本的な約束に矛盾する一連の実験の一つに過ぎない。例えば、1960年代には研究者らはすでにDNAコードがしばしばあまりにも少なくしか転写されないので、生物学的遺伝現象の信頼性を説明出来ないことを見出していたのである。即ち、この場合もある酵素蛋白質がミスコードされたDNAを修復するように働くことが発見されたのである。

 

遺伝的形質発現を生化学的に活性化し、実際にその形質を作ることに関連したもう一つの矛盾がある。それは新たに作られたばかりのリボン状の蛋白質は球状の厳密な立体構造に折りたたまれなければならない、ということである。クリックはリボン状の蛋白質は単に自力で正しい形に折りたたまれる、と考えた。しかし1980年代に出来たての新しい蛋白質は自力では上手く立体構造を作れず、それらを正しい形にする特別なタイプのシャペロンという蛋白質に接触しなければ、生化学的に不活性まま残ってしまう、という発見があった。従って、時間がたつにつれて、セントラルドグマに反して、1個の遺伝子が遺伝的形質を決定的に支配するわけではない、という実験的証拠が集積されてきている。 むしろ、遺伝子は蛋白質を介した生化学反応のシステムとの相互作用によって、遺伝子単独で可能なことよりも更に複雑な系を形つくることでその影響力を発揮するのである。

 

過去20年間に、狂牛病の原因となり、人間の脳を退化させる「プリオン」に関して分ったことは、恐らくセントラルドグマにとって歓迎されない矛盾の最も驚くべき例であろう。

セントラルドグマにしたがえば、生物学的複製即ち感染性は核酸抜きでは起こり得ない。しかし、羊の脳を退化させる病気であるスクレイピーを分析しても、その病原体には核酸が見出されなかったのである。1980年代にサンフランシスコのカリフォルニア・メデカルスクールのスタンレー・プルシナーはスクレイピーと人間の同様な病気の原因となる感染性病原体の詳細な研究を開始した。彼の研究はこれらの病原体は実際、核酸を含まない純粋な蛋白質(プリオンと名づけられた)であることを確認し、核酸とはまったく異なる仕方で複製することを証明した。 脳に侵入すると、プリオンは脳内の正常な蛋白質に出会う。すると、その蛋白質がプリオンときっちり同じ三次元構造に変化する。新たに変化した蛋白質はそれ自体がまた感染性を獲得し、他の蛋白質に働きかけて連鎖反応が次々におこり、病気を致死的な最後まで進行させるのである。この、プリオンの複製能力が別の蛋白質に直接伝達される、という過程は、「蛋白質間の遺伝的伝達が発見されたら分子生物学の屋台骨全体を揺るがすだろう」と言明したクリックの言葉に裏付けられたセントラルドグマに反している。

 

これまで述べてきたすべての例は、遺伝の分子的基礎に関する研究の結果であり、特にセントラルドグマに導かれて得られたものである。いかなる合理的判断からも、こうした結果は、遺伝子DNAが遺伝的形質を生ずる分子過程を一元的に決定している、というセントラルドグマの主要な格言と矛盾する。しかし、もし核酸だけが遺伝現象にかかわっているわけで無く、遺伝子だけが蛋白質の活性を唯一決めているわけでないなら、バイテク企業が主張する、遺伝子工学の結果は完全に予見できるという説に信頼をおくのは危険である。 むしろこの結論は未だに科学の世界で確認されたわけでは無く、議論すべき余地が残されている。 新聞はこの点に関してまったく沈黙を守っている。例えば、1980年から2000年の間のアメリカの新聞をコンピューターで検索してみると、シャペロンやDNAコードの不確実性に関する記事は一つも無い。断片から再構成された遺伝子から蛋白質の多様性を生み出すことが出来る、といったことは、この決定的な発見が実際に行われてから20年経ったほんの今年の2月にニュースになったばかりである。

 

研究者の社会におけるセントラルドグマのイデオロギー的支配は大変強力だったので、1997年にスタンレー・プルシナーがノーベル賞をもらった時、何人もの科学者が公にこの決定を非難したものである。何故ならプルシナーは感染性があるにもかかわらず、プリオンは核酸を含まない蛋白質だと宣言したために、セントラルドグマの先入観に反し、ノーベル賞を受けるにはあまりにも「矛盾だらけ」だったと思われたからである。この先入観に導かれた固定観念は科学の進歩だけでなく、人間の健康にとっても重大な障害になっている。プルシナーの仕事に対する声高な批判に対して、ノーベル委員会の副委員長のラルフ・パターソンは、プルシナーの仕事(この病気の予防に従来の滅菌操作が役立たないと言うプリオンのユニークな性質をたまたま説明した)に疑いを指摘することによって、彼の批判はイギリスにおける狂牛病への効果的な対策を長期間遅らせ、手遅れにした、と指摘している。

 

有力な理論におけるそうした矛盾がいかに遺伝子組換え作物の信頼性と安全性に影響を与えるだろうか。この技術は、植物の遺伝的形質をもたらすある蛋白質の固有な生化学的性質は「遺伝暗号」を介して特定の遺伝子DNAに由来する、という前提に立っている。それで、全く別の生物種から人工的に導入された遺伝子、例えば殺虫蛋白質を作り出すバクテリアの遺伝子など、はコーンや大豆の中でも全く同じものを合成し、その他のものは作らないだろう、と考えられている。

単一の生物種内に限れば、それが作る蛋白質に与える遺伝子の全般的な影響、従って遺伝的形質も通常予測可能である。しかし、このことは遺伝子が遺伝的形質のすべてを支配していることを意味しない。なぜなら、我々がすでに見てきたように、遺伝的形質は遺伝コードの修正、遺伝子サイレンシング、シャペロンによる蛋白質の立体構造形成、等のような他の蛋白質に媒介された一連のプロセスに依存しているからである。むしろ、自然の遺伝的システムの信頼性は、遺伝子システム及びそれと同程度に必要な蛋白質に媒介されたシステムの間の調和の結果もたらされているのである。このようなゲノムと蛋白質系の間のハーモニーは、長い進化の過程で相互の共存期間中に、調和しないものが排除された結果発達した。言いかえれば、単一の生物種の内部では、特定の形質を遺伝させる複雑な分子過程の発生は、個々の構成成分の調和をもたらすような自然界における数千年以上の試験を経て保証されたのである。

 

これに反して、遺伝子組換え植物の場合、外来の細菌の遺伝子はDNAコードの修復やシャペロンなど植物の蛋白質系と適切な相互作用をしなければならない。しかし、これら植物の蛋白質システムは細菌の遺伝子とは非常に違う進化の歴史を経てきた。その結果、遺伝子組換え植物では、外来遺伝子と宿主の蛋白質系の調和の取れた相互依存は、非特異的で不正確であり、また全く予期できないやり方で破壊される。こうしたことは、遺伝子組換え生物が実際に作り出されるまでの数多くの実験上の失敗や、遺伝子が上手く組み込まれた場合でもおこる遺伝的欠陥によって明らかである。

 

最近の研究によると、遺伝子組換えバクテリアは、宿主の遺伝暗号修復系が上手く働かずに、外来遺伝子の複製欠陥を修正できないことが分っている。このことは、新しい宿主の中で、遺伝子の複製の際のランダムに起こる修正できないエラーによって、予見出来ない遺伝的変化がもたらされることを意味している。 同様に最近の実験だが、緑色に光る蛋白質を作るクラゲの遺伝子が上手く猿の卵細胞の遺伝子に組み込まれ、その後生まれた子どもの猿の組織でクラゲの遺伝子が検出された。しかし、そこに緑色に光るクラゲの蛋白質は無く、この遺伝子を翻訳し活性のある蛋白質をつくるために必要な一つ以上のプロセスに失敗があったことを示している。その上、その蛋白質は卵細胞では検出されていたので、この欠損は胚の発生の間のもっと後期に起こったものであることが分る。

 

こうした事実は、異種間の遺伝子伝達の成功によりもたらされる破壊的な影響が、如何に予測不可能なばかりでなく、結果が出るまでに長い時間かかるかを示す例である。同様なことは遺伝子組換え作物でもそんなに稀ではなく、遺伝子組換えによる破壊的な影響は、アメリカ合衆国ですでに生えている数百万の組換え植物で大きく増幅されている。遺伝子組換え作物でそうした破壊的な影響が現在どの程度起こっているか知られていないのは、バイテク企業が規制当局から、遺伝子組換え植物の実際の構成など最も基本的な情報の提供さえも求められていないからである。例えば、特殊な殺虫蛋白質を作る細菌の遺伝子を持つコーンの場合、その植物が本来の細菌の蛋白質と同じアミノ酸配列の蛋白質を実際に作っていることを示す試験結果さえ要求されていないのである。実際、この情報こそ、組換え遺伝子が実際に理論どおりの生産物を作っている、ということを確認できる唯一の手段にもかかわらず。

 

また、遺伝子組換えによる長期的な、何世代にもわたる影響について報告された研究は一つもない。それには、例えば、実験室ばかりでなく、市場作物でも、外来遺伝子の作る蛋白質の詳細な分子構造と生化学的活性の分析が必要である。市場作物の一部にでも予期できなかった影響が見つかれば、そうした分析は蛋白質の植物毎の変動をも十分検出できるだけのスケールの、様々な地域で栽培された試料のチェックが必要である。もし、予期できない影響が非常にゆっくり発生するならば、その作物は何世代にもわたってモニターされなければならない。

 

要約すれば、もたらされる変化についてわずかな知識しかないにもかかわらず、現在数億の遺伝子組換え作物が栽培されている。今後、遺伝子組換え作物の詳細な分析が行われなければ、危険な結果が生ずるかどうか知る方法はない。しかし、セントラルドグマが破綻したにもかかわらず、それが上手く行かないという確認さえおこなわれていない。現在栽培されている遺伝子組換え作物は巨大な未管理の実験である。その結果どうなるかは本質的に予見不可能である。我々のプロジェクトは、一般の人々がこの決定的な窮地にある危険の意味を効果的に理解するのを助けるために計画されている。

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Organic Consumers Association

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訳注:著者のバリー・コモナーは世界的に著名な生態学者。

著書に『科学と人類の生存 生態学者が警告する明日の世界 』

バリー・コモナー/著  安部喜也・半谷高久/訳 など多数。

 

 

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