クローン無用

 

市民科学大学

(翻訳 山田勝巳)

 

人は言うまでもなく、何故羊や乳牛のクローンを作るのか?生命体が遺伝子の集合体以外の何者でもなく、体の交換部品として人の胚細胞を利用する権利があると考えているのは、遺伝子決定論者だけだ。クローンは誤った呼称だとメイ・ワン・ホー博士はいう。最初のドリーの実験で方向を見失い、その後続いている他の動物でのクローン実験は同様の失敗を冒している。同一の生命体のコピーを作るというよりも、死亡したり異常をもった怪物が頻繁に作られている。こんな荒っぽい実験を動物といえども継続することは人倫に悖る事だ。 

 

"数知れぬクローン志願者達"

議論が白熱する中、ローマで人クローンについて話し合うために、生殖研究チームが世界から集まった。 この研究チームが最初の人間のクローンを作ると1月に発表して以来、600から700のカップルが名乗りを上げており、その数は増加中であると、アメリカの医師でこのチームの一員であるパナイオティス・ザボスはいう。「日本、アルゼンチン、ドイツ、イギリスと世界中から関心が寄せられている。」宗教団体や動物のクローンに関わっている学者からの激しい反対にも関わらず、このチームは数週間の中にはクローン作りを「基本的には不妊を抱えたカップルのため」に始めるという。 

 

ザボスによれば、いずれ今の反対は無くなる、そして「歴史的に反対は当然だ。しかし、最初の赤ん坊が産声を上げれば、世界の人々はその子を受け入れるだろう。21世紀に入った今人類は自然の法則を破る技術を身につけた。」という。そうだろうか。

 

人のクローンは、4年前にクローン羊のドリーが生まれた時から検討されてきた。優生学者の究極の夢となるか悪夢となるかは、遺伝子が運命を決める不思議な力があると信じるかどうかによる。 

 

紛れもないフランケンシュタイン

1997年2月23日日曜日、スコットランドのエジンバラ郊外にあるロスリン研究所に勤務する発生学者、イアン・ウィルマットは、乳腺細胞から羊のクローンを作ることに成功したと発表した。この「ドリー」と名付けられたクローンは、当時7ヶ月令で、細胞を提供した親羊と遺伝的に全く同一であると言われていた。一般の反応は素早かった。人にも出来ると言うことか?人クローンも近いのか?と。

 

それから数日の一面見出しはセンセーショナルだった。“ガリレオ、コペルニクス、そして今度はドリーだ”、“人クローンへの展望”とか“ここ数日間、我々はコペルニクス的転回や原子の分裂にも匹敵する転換期を経験してきた”とか“研究者は人のクローンもできる”と。

 

アメリカのクリントン大統領は、ドリーのクローンは、「特に人の胚細胞にこの技術を応用する可能性があるという点で、重大な倫理的問題」を提起していると言明した。大統領は生物倫理の専門家パネルに90日以内に報告するよう諮問した。(6月には、クリントンは、5年間人クローンを禁止した。)この事件はニューヨークタイムスの一面を飾り、テレビニュースもこれ一色で、色々な記事や討論会が企画された。水曜日には、ロスリン研究所で実験に参加していたPPL薬品の株価が33%も上がり、2500万ポンドの企業になった。科学を推進するものは何か。ロスリンの研究者は、この企業からは何の利益もえられないし、今後も直接利益を受けることはない。しかし、クローン技術はPPLと研究所の共同特許になっている。従って研究所は、研究契約や助成金が無くなったとしても、当然使用料からの収益が期待できる。

 

当初クローンに関わった研究者達は人のクローンはSFだと否定していた。非常に難しい技術で、一つの成功に300の受精胚が必要だったので、羊で成功したからと言って人で出来るとは言えないと言っていたのが、数日後には、ウィルマットは人でも可能だと認めた。だがロスリン研究所のグラハム・ブルフィールド所長は、クローン技術は害をもたらすこと、特に人に関しては使わせないと、言う一方で今回の成功は長期的に見れば、色々と人類に貢献できるものだと強調する。蛋白質、血液、臓器などの目的で遺伝子移植した動物を飼育することもできるし、遺伝子治療によって致命的病気にも治療法が出来るだろう。  

 

イアン・ウィルマット自身人の胚細胞を同じ方法で作りガンや難病の克服に使えるだろうと言う。人の胚細胞を有用な細胞が出来るまで育成し、有用な細胞が出来たらそれを取りだして人の病気治療に使える。 その過程で胚が死ぬこともある。つまり、研究所の所長が言う遺伝子移植動物のように、人の胚を飼育とか医薬製造するのだ。このおぞましい発想は、ウィルマットの人クローンは「技術的に難しく倫理的に受け入れられない。」と再確認がなければ受け入れがたいものだ。だが、研究所の申請した特許は人を含む全ての動物に適用されることを意味している。

 

その後の新聞報道では、頭のない蛙を作り出した研究者が、臓器移植に使える頭のない人間クローンを作る見込みが出来たというのが出ていた。彼は、この頭のない人の胚は苦しまないだろうし、倫理的な反対も少なくなるだろうと考えている。

 

ウィルマットは、クリントンの議論は歓迎するし、生物学者や倫理指導者の諮問も認める一方で、実験を否定する気はない。彼は実験に対する「批判的雰囲気」が何時までも続くことに苛立ちを示している。「世界初の注目すべき成果があるのに、それへの不安を煽ることで稼いでいる奴がいる。科学者がこのような発見をすることを非難するのはおかしい。我々はフランケンシュタインのような人間ではない。我々がやらなくとも誰かがやっただろう。技術は既にある。これをどう使うかは社会が決めればよいし、そのためなら話に乗ろうではないか。」と言う。

 

この発言は重要だ。科学者は悪事をしないと言う暗黙の了解を示すからではなく、彼が、誰も非難することの出来ない「科学の進展」のために、当然の責務を果たしているということをいわんとしているからだ。 この高邁な目的を達成するためにはどうするか、個人的な責任を一切問わない筈だというのである。

 

ドリーのクローンには様々な方面からの働きかけがあった。科学の振興という純粋な動機もその一つだろし、個人的な昇格、権威、それ以外の強い動機。見逃せないのは、生殖生命工学の市場の伸びを見込んだ医薬品業界からの財政的援助だ。主要な研究の財政支援は、農魚食糧省経由の税金でまかなわれていた。

 

産業界や学会からの圧力で「治療目的」の人クローン法案が作られ、イギリス上院で2001年1月22日に圧倒的多数で通過した。この法律では人のクローンは作れないが、ドリーを作った技術で人の胚を作り、移植用の細胞や組織を作ることは出来る(「治療のための人クローンは無用の悪」を参照のこと)。

 

イギリスでドリーが発表されて1週間、一人も著名な女性がコメントを求められなかった。女性は一人も姿を見せていない。女性がほのめかされたのは、ドリーという名前が親羊の豊かな乳房の細胞を使って作られたので、ドリー・パートンという歌手にちなんで名付けられたとウィルマットが明かしたときだけだ。

 

このクローン技術は、女性から生殖のコントロールを奪おうとする工業社会の延長線上にあるもので、これは専門医や厚顔無恥な企業がサービス化、商品化へのもくろみに加担するものだ。

 

女性を対象とした避妊法のピルに始まる。ピルは一般的に女性に選択や管理能力を与えるものと見られているが、同時に子供を作ることやその他の責任を全て女性に課し、男性は自由で非難を受けないようにしている。だから今でもシングルマザーを非難するような社会なのだ。ピルの次には試験管受精、不妊治療、受精卵の性選択、代理出産、生殖細胞遺伝子交換治療、そして今度は“クローン”で受精を完全にバイパスする技術。これは、自然が他の物質同様人の都合に合わせてどうにでも操作できるという功利的、搾取科学の論理的到達点だ。だから人の胚だろうと直接商品化が出来るし、医薬用動物を蛋白質、細胞、臓器を金持ちの注文に応じて生産できるのだ。

 

しかし、誰が人とまで言わなくとも、羊や牛のクローンを望むのか。生命体が遺伝子の集合体以外の何者でもなく、体の交換部品として人の胚細胞を利用する権利があると考えているのは、遺伝子決定論者だけだ。 この行為を唆すのは、紛れもなく遺伝子決定論者で、正当化すると同時に合法化し、更に関わった研究者や遺伝子決定論に染まった大部分の民間部門でも推進は避け得ないものと思わせている。 

 

‘人類を卑しめる人間の勝利’

ある記者が、ドリーのクローンで経験した幸福感をイギリスの一流紙に書いている。「エジンバラからドリーのおどおどした視線に、輝かしい未来がまたたく。僅かに想像できるのは、トスカニアのイエズス会士が、宇宙に関するガリレオの対話を読んだ時の驚き、その250年後、信心深いロンドン人が種の起源の初版を見たときの驚きは‥‥」この記者の幸福感は、遺伝学者によって、遺伝子がいかに決定的であるか、遺伝子を操作することで人は自らの運命を変えられるということをすっかり信じ込まされている事による。

 

人間の行動を、遺伝的に決定される行動特性による自然淘汰で説明しようとする社会生物学を創設したE.O.ウィルソンが、この記事で引用されていて、人の脳(人間の意識を指すものと思われる)は「現像液に滑り込まそうとしているネガフィルム」、そして「映像はその個人の何千年に亘る進化、遺伝の歴史であり、それを変えることは出来ない。」と記されている。 

 

同じ脈絡で、コロラド大学の遺伝学教授ジョナサン・バン・ビアコムは、「とにかく、自分の遺伝子を残す進化の避けがたい力を持つという利己的遺伝子説を信ずるなら、これは決定的だ。」と言う。リチャード・ドウキンス(ネオダーウィニズムの最たる存在で遺伝決定論者、人間は、ただ複製だけに駆られる”利己的遺伝子”の力で動くロボットに過ぎないという全く陳腐な考えで有名)もまた嬉しいと言う。彼は、自分のクローンが欲しいと宣言した。小さな自分のコピーが育つのを見たいという。「自分とパートナーの合いの子を見るのではなく、純粋の自分が見られる。」

 

言うまでもなく、インターネットのクローン作りに賛成しているのは、3人の最たる遺伝子決定論者、リチャード・ドウキンスとE.O.ウィルソン、そしてDNAの二重螺旋を発見し、狂信的な遺伝子決定論を提起していることで有名なフランシス・クリックだ。

 

 「これからは、セックス無しで自分を複製できる。」と、アンドリュー・マーは、勝ち誇ったように書き、「宗教的原理主義者」や「抜け目ない自由主義者」が優生学に注意を引こうとしている(指摘内容は分かるとしながら)とたしなめ、一方で人間に改善の余地がないほど自然は完全ではないという小説家フェイ・ウェルダンの冗談を真に受けて引用し、我々自身を畏れるのは原始的に過ぎるという。 新しい考え方や研究を政治的な権力で禁止するのは罪悪だという。科学記者からウェルカム・トラスト・チャリティの主席政策分析者になったトム・ウィルキー曰く、道徳性は進化するもので1950年までは、死者の角膜を使うのは非道徳で不法だったと言ったのが伝えられている。 

 

ウィルキーやマーのように移植に使う角膜と、人のクローンを同一視するようでは、完全に相対道徳論に陥っているだけでなく、科学を神にしてしまっている。ここには、科学が過ちを犯さないもので、非難はあり得ない、また道徳的態度や倫理は常に変わるもので間違い得るものという姿勢がある。では、科学がそのようなものかどうか見てみよう。

 

クローンはどうやって作られるのか

クローン作りの手順は、羊の成体の乳房からの細胞を成長や分割が止まる「静止」状態になるまで培養する。培養液から細胞を取り出し、核を取り除いた別の羊の卵子に融合させる。こうすれば最初の羊のゲノムを持つ細胞の核が卵子のゲノムに取って代わる。卵子は試験管の中で成長を開始し、成長が正常であることが確認された段階で、代理親になる雌羊の子宮に移植され分娩に至る。このようにして作られた胚277個の中29個が代理母に移せるくらいに正常に成長して、その内1個だけドリーとして生まれている。

 

実は、この発想や技術は新しいものではない。この種の広範な実験は1960年代にオックスフォードのジョン・ガードンのグループが蛙を使い、また他の成長生物学者がトラフサンショウウオでやっている。だが、これに関わった研究者達は、誰もクローンを作ったとは主張していない。それどころか、全くそんなものではないことを知っていたのだ。

 

実験の知的動機は、発生学の難問から発している。普通生物体は、複雑さには関係なく、一つの受精卵から出発し、細胞分裂を繰り返して多細胞を形成する。これらの細胞は、様々な組織を形成する階層的決定プロセスを経て、次第に明確に違った神経細胞、皮膚細胞、肝細胞などを成長して行く。核移植実験が提起する2つの問題がある。一つは細胞が別の臓器を形成すると決定したとき、この細胞は他の臓器や細胞を形成する能力を失うような不可逆的変化を伴うプロセスが起こるのか。二つ目は、細胞の分化によって核の遺伝子成分が変化して不可逆的変化が起こるのかという事だ。 

 

ドリーを載せた科学誌ネイチャーは、ドリーがクローンだとは言っていない。表題は、「胚胎と成体の乳腺細胞から生まれた生存能力のある子羊」である。クローンというのは、報道発表や公表時に使われている。 いわんとしていることはドリーという生存能力のある子羊には、元々の「遺伝的設計図」をそのまま持っていて、大人の細胞が、それと同じ別の生命体を作るのに使えるという事だった。

 

先に行われた両生類での実験では、成長異常が沢山出てきた。核移植して最も上手く行ったものでもオタマジャクシまでだった。しかし、核移植を繰り返しているうちに。(つまり、一度核移植した胚の細胞の核を第2の卵細胞に移植する)蛙の成体が出来ることが分かったが、その殆どは不妊で何らかの異常があった。その中で蛙の皮膚を培養した細胞を使って3546の核移植を実行して、一回の移植でオタマジャクシが出来る確率は0.1%だった(換言すれば、失敗率は99.9%)。連続移植で成功率は12%になったが、このオタマジャクシは0.1%からのもので既に選択されたもの。この成功も程度の差はあるが異常を持っていた。

 

核移植技術は、1950年代に二人の別の研究者によって発見されていた。その後広範に実験が繰り返され次のような結論が出ていた。

 

  a.. 移植された核の成長を支える力は、ドナー細胞の年齢と共に低下する。

  b.. 低下した核の成長力は不可逆的で、染色体の損傷や他の変化がDNAに起こりうる。

  c.. 核移植実験による成長異常は、使われる細胞の種類には関係がない。

  d.. 細胞分裂が目で数えられるほど初期のものを除けば、元の「遺伝子設計図」がそのままであるという証拠は何もない。

 

このように、細胞分裂が目で数えられるほど初期のものを除けば、元の「遺伝子設計図」がそのままであるという証拠は何もない、と言っているにもかかわらず、結果のまとめでゴードンは、「この章に於ける実験のサマリーの第一は、個体の持つ様々な細胞の核は、遺伝的に同一であるようだ。」(斜体は筆者)と言っている。ゴードンの主張はデータの裏付けがなく、直前の付随的結論と矛盾している。これは明らかに誰かが、遺伝子(DNA)が成長において変化しないという受け入れられている独断(ドグマ)を通そうとしたもので、それと反対の証拠を遺伝子は発現している。この証拠の読み違いや誤った解釈は、遺伝子決定論の長い歴史ではおなじみのものだ。(2)

 

ドリーの実験で唯一新しいのは、羊でやった事と連続した核移植なしに一見健康そうに生きて産まれたということだけだ。ネイチャーでは、この結果の解釈はもっと慎重だ。失敗率には触れていないが、「成体細胞から子羊が産まれたという事実は、この細胞は、分化が分娩までの成長に必要な遺伝子成分の不可逆な変化がなかったという事が分かる。」と述べている

 

この科学は重大な瑕疵がある。

この科学は、個体が完全に遺伝子の構成で決まり、成体細胞の遺伝子構造は変わらないと前提している点で根本的に間違っている。この結果は、核移植実験では支持されていない。新聞記事の解説者の多くは、人のクローンでは、クローンは別の人生を歩むということで見れば、元の個体と同一ではないと指摘している。 一卵性双生児はより厳密な意味でクローンといえるが、別々の個人だ。だが、もっと科学的にはっきりした間違いがある。

 

第一に、成体の組織からの細胞であれば何でもクローンが作れるわけではない。別の羊の卵子が必要だ。卵子が細胞に入る核の「若返り」や「再プログラム」とも言う重要な役割を果たし、乳腺細胞になっているDNAの「刷り込まれたマーク」や他の変更を全て消去している。 高い可能性として考えられるのは、卵子が挿入されたDNAを、成長の出発点における受精卵のゲノムとしてふさわしい形に変えるのではないだろうか。最近、遺伝学者は、核移植クローンの失敗率が高いのは、クローンが双方の親によって正しく刷り込まれている精子と卵子から出来ていないためではないかと推測するようになってきている。(3)

 

卵子の細胞質のもう一つの重要な貢献は、種の特性を示す正しい形態生成の重要な合図(ここは、ミバエの形成プランに影響する遺伝子は沢山分かっていても、まだ殆ど理解されていない)を出していることだ。

 

卵子はまた食糧倉庫であり、亜細胞のエネルギーハウスでもある。ミトコンドリアはエネルギー媒体のATPを作り、成長や発達に必要なエネルギー変換に使われている。ミトコンドリアには、独自の補助的DNAがあり、細胞質の中で独立してDNAが複製されており、細胞分裂の際には、各娘細胞は適切な数のミトコンドリアもできる。生命体の系統はミトコンドリアのDNAで追跡できる。ミトコンドリア遺伝子の突然変異は、病気とも関連しているものがある。ミトコンドリアなしに生存できる細胞はない。

 

この実験の非常におもしろい点は、卵子の細胞質の役割で、これは殆どの解説者が無視しているが、これは現在の科学の主流が、父権的偏向を反映しているものだ。核ー細胞質間の相互作用は、古い科学文献で良く知られている。核と細胞質が相容れない場合発達は進行しない。細胞質の強い影響を受けている性質は沢山あって、1950年代に始まったDNAへの執着で影を潜めるまでは、「細胞質遺伝」はそれだけで研究課題だった。

 

もう一つの科学的誤りは、成体組織の全ての細胞に於ける遺伝子構造は同じで、元々の受精卵と同一だと仮定していることだ。この俗説は、既に両生類の核移植実験で否定されており、1980年代の「流動ゲノム(fluid genome)」の発見で最終的に葬られている。体細胞(細菌細胞とは違う体の細胞)は、組織の生涯の間に、微小な突然変異や挿入、削除、再配列、重複、増幅などの変化を蓄積している。突然変異でガンに関わっているものもある。これらのDNAの変化は、クローン技術の低い成功率の原因である可能性がある。 だから、意図的でないとすれば、証拠を無視するのは、低劣な科学の事例になる。

 

ドリーの実験以来、羊だけでなく山羊、乳牛、豚、マウス、猿のクローンを作ろうと数多く試されているが、死亡率や異常率も高く、どういう訳か代理母も脂肪肝、水腫、その他の病気に罹り、異常に苦しんでいる。動物実験から分かっている異常をベースに、研究者は最初のクローン人間100人はどのようなものになるか生々しい記述をしている。

 

「最初の100クローン人間は、殆ど全てが代理母の健康と生命を冒しつつ、遺伝的又は物理的異常のために流産するだろう。出産にこぎ着ける5人前後のクローンは、異常に大きな胎盤と脂肪肝を持って産まれる。 そして3−4胎児は出産を生き延び、とてつもなく大きい(恐らく15ポンド、約7kg)で、心臓血管系の問題、未熟な肺、糖尿病、又は免疫系の欠陥で最初の1−2週間で死亡する可能性が高い。」

 

クローン実験は、動物といえどもそれに伴う苦痛を考えると倫理的に咎むべきものだ。過去4年間科学的発見や国民の健康に関して明らか特記すべき成果もなしに、非常に多くの公的、私的資源を無駄にしてきた。 その一方で、口で言えない市民社会の社会的倫理的枠組みを損なってきた。クローン実験の幕を閉じる時期が来ている。

 

 

1.    "Hundreds Volunteer for Clones, Scientists Say" Jane Barrett, ROME(Reuters) 9 March 2001.

2.    This account is based on "Hello Dolly Down at the Animal Pharm" in Genetic Engineering Dream or Nightmare? The Brave New World of Bad Science and Big Business, by Mae-Wan Ho, Third World Network and Gateway Books,1998. Please refer to the original for detailed references.

 3. McCreath KJ, Howcroft J, Campbell KHS, Colman A, Schnieke AE and KindAJ. Production of gene-targeted sheep by nuclear transfer from culturedsomatic cells. Nature 2000, 405, 1066-9.

 4. "Cloning Humans: Failure Will Be the Norm" Rick Weiss Washington PostMarch 8, 2001.

 

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