論文1 異常プリオン蛋白質が検出できなくてもBSE病原体は伝播する
論文2 スクレーピーの増殖と適応に先行する長期の潜在的キャリア状態が存在
論文3 クロイツフェルト・ヤコブ病の妊婦の組織中に伝達性因子を証明
BSEの論文1〜3の訳注と解説:河田昌東
本来なら、論文の発表年代順に、論文3(1992年)、論文1(1997年)、論文2(2,001年)の順に紹介すべきだったかもしれない。しかし、ここでは敢えてこれを無視した。その理由は、先駆的な研究が如何に大切であり、事実を事実として受け入れることが大事であることを示すためである。
論文3はイギリスでもまだBSEが牛のレベルの問題であり、人間とは関係ないと思われていた1992年に日本の玉井教授(当時、北里大学)らによって公表されたものである。当時は世界でもほとんど関心を引かなかったらしい。しかし、1996年にイギリスで発生したヒトの変異型クロイツフェルト・ヤコブ病がBSEの感染によるものではないか、となるに及んで、にわかにこの研究が注目を集めた。 EUの専門家会議は当時の厚生省の遅発性ウイルス病研究班に事実の確認を求めた。 BSE感染牛の牛乳の安全性を考える際の材料にしようとしたのである。何故なら、この研究が人間からマウスへの移植実験ではあるが、母乳感染について証明された世界で唯一の例だったからである。この論文は母子感染の可能性について大きな示唆を与えるものだったが日本では評価されなかった。
EU専門家委員会の確認の質問にたいし、当時厚生省の遅発性ウイルス病研究班の班長だった東大の山内一也教授は、異常プリオンの権威と言われる東北大学の北本哲之教授に、玉井論文の材料になったマウスの脳の標本の再検査を依頼し、免疫組織学的検査の結果、海綿状脳症はなかった、との見解を得、これを私信の形でEU専門家委員会のR、Bradleyに伝えた(1997年2月)。 この返事を受けて、EU委員会は、牛乳による感染の危険はない、と結論した。
しかし、この厚生省研究班の見解には大いに疑問がある。論文3でも記載されている通り、患者の初乳を接種されたマウスの10匹に2匹が発症し、病理組織学的検査(顕微鏡による)で海綿状脳症と玉井教授らが判断したマウスの脳組織を、北本教授が免疫組織学的検査で海綿状脳症ではない、と改めて否定した。異常プリオン抗体にたいして反応が陰性だったことが根拠になったのである。しかし、北本教授と山内教授も、このマウスの脳を接種した第2世代の発症マウスは海綿状脳症と認めている。それではこの第2世代の発症マウスの感染源は何処からきたのだろうか。 当然、北本教授が海綿状脳症でないと断定した第1世代マウスからである。論文3の表をみれば分るように、第2世代では発症までの期間も短くなり(611日から202日)、発症頻度も上がった(2/10から5/10)。欄外の説明では第3世代の接種では、100%(21/21)発症し、期間も131日に短縮した。こうした一連の実験結果をみれば、患者の初乳による第1世代マウスは、異常プリオンが検出されなかったとしても、感染性を維持していたことは明らかであって、母乳に感染リスクがあると考えるのが科学的態度である。北本・山内教授の見解は、一見科学的に見えてもプリオン検出感度にすべてを依存しており、第2世代以降の発症の原因について説明不能である。第2世代はすべて突然変異だとでも言うのだろうか。こうした見解は玉井教授らの研究の全体像を理解していない結果といえる。あるいは、母乳感染の事実が日本発の先例となることを恐れた、厚生省の政治的判断を反映したのかも知れない。 EU委員会は、山内教授の回答を得て、牛乳の発症リスクはない、と結論付けながらも、安全性を重視して、BSEの感染が疑われる牛の牛乳は消費に回すことを禁止した。
最近になって、玉井教授らの論文を支持する有力な研究が発表された。その中で典型的な論文1と2を紹介した。論文2を発表したのはアメリカ・モンタナ州のロッキー・マウンテン研究所のR.レースら4名の研究者である。 <耐性種におけるスクレーピーの増殖と適応に先行する長期の潜在的キャリア状態:BSEと人間の変型ヤコブ病の類似性> と題するこの論文を要約すると,海綿状脳症にかかったハムスターの脳組織をマウスに接種しても、この第1世代マウスに海綿状脳症は発症しないし、異常プリオンも検出できなかった。ところが、この第1世代のマウスの脳組織をハムスターに接種するとすべてのハムスターが発症した。その上、この同じ第1世代の無発症マウスの脳組織を接種した第2世代目のマウスも発症し、異常プリオンも検出されるようになったのである。そこで、研究者らは次のように考えている。異種生物の異常プリオンが入ってきても、異常プリオンは直ちには増殖せず、感染性は維持したまま脳内に潜んでいる。そして、次第に異種生物の正常プリオンを異常プリオンに変える能力を獲得し、その生物に適応して、第2世代以降は同種生物の異常プリオンとして感染性を発揮するようになる。現在、第1世代の接種マウスで異常プリオンが検出されないのは、検出感度に問題があるからで、発症せず異常プリオンが検出されなかったからといって安心できない、というのが研究者らの結論である。
論文1はフランスの研究者らの研究だが、タイトル自体が<異常プリオンが検出できなくてもBSEは感染する>という、そのものずばりの研究結果である。研究材料はBSEとマウスだが、内容はハムスター・スクレーピーとマウスを使った論文2とほとんど同じである。この論文でも玉井論文同様、第2世代、第3世代に進むにつれて発症頻度もあがり、発症までの期間も短くなるデータが得られている。加えて、論文1と2は厚生省研究班が玉井論文を否定する根拠とした「異常プリオン非検出」でも感染性が持続するばかりでなく、次第に新しい宿主に適応し、新しい宿主自身に適応した異常プリオンを増殖させる、と結論している。
こうした最近の研究も考慮すれば、厚生省研究班の山内教授らの結論は間違いである可能性が高く、また現在行われているいわゆる「全頭検査」で異常プリオン陰性でも、非発症キャリア個体は見つけることが出来ないのは明らかである。しかしながら現在最も感度が高い「感染実験」に頼ることは、実験規模からも、また結果が出るまでに1〜2年かかることを考慮しても非現実的である。そのためには一刻も早く、感度の高い生化学的方法を開発し、血液検査や牛乳の検査、尿検査など生きたままの個体で異常プリオンを検出できるようにしなければならない。政治的思惑から事実に基づかず、いたずらに安全宣言を繰り返すことは、かえって問題の本質的解決を遅らせ、結果的に被害を拡大する可能性がある。