Yellow Bean(黄色の豆) が発端の国際的特許論争

 

 Timothy Pratt

ニューヨークタイムス 3月20日 コロンビア発

抄訳  山田勝巳 

 

ヨアキム・ボス博士は、緑の革命で飢饉を救うのに一役買ったインド熱帯農業国際研究センターの所長として決戦の覚悟である。研究所の敷居を越えて、今ここコロンビアからワシントンの事務所を股に掛けてアメリカの作物特許と戦う最初の途上国農業研究センターにしようとしている。

論争の的は、豆である。あせた黄色で親指の爪より小さめで殆どのアメリカ人は見たこともないものだ。これがLarry  Proctor が妻の名前をとってEnola と名付けてUS 特許5,894,079をとった豆である。

ボス博士は、豆の輸入者でもあり、育種家、遺伝子専門家でもあるが、Proctor氏は、メキシコ人や他のラテンアメリカ人が何世紀も食べてきた豆に、ただ名前を付けて特許を取ったものだという。

プロクター氏の特許は「特別な黄色」を作りだしたものに対して得られたもので、理論的にはこの色の豆を作ったり研究したりする人は特許料を払わなければ訴えられることになる。実際アリゾナのノガリスにある豆の輸入業者Tutuli  Produce社はプロクター氏に訴えられて係争中で、研究センターの特許論争と平行して、この会社も逆訴訟を起こしている。

「この豆は育種も改良もされていない。新しいといえばUS特許で発明したという事だろう。」

とダニエル・デブク博士はいう。デブク博士は熱帯農業センターで豆の遺伝子銀行を主管している。

「このうち少なくとも260は黄色で6種はEnolaに酷似している。」という。

「この特許は法的にも道徳的にも間違っている。我々は最初にアンデスの農民とメキシコの農民が育て上げたという確固とした科学的証拠がある。」とボス博士は話す。

特許によると、プロクター氏は1994年にメキシコから乾燥豆を一袋持ってきて黄色のを選び栽培した。そして季節で変化の少ない明瞭な黄色の豆を開発したとして占有特許を1996年に申請した。1999年4月13日に特許が降りた。

この直後にRAFIが抗議声明を出し「バイオパイラシー(海賊行為)の典型的なものだ」と非難した。

育種家や研究者達、特に公共部門の大学やFuture Harvest ネットワーク等もこの特許やこの種の生命体の特許で苦しめられている。

 

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