生命操作の時代にどう向き合うか


河田昌東
2025/02/08

1)はじめに
 1700年代にイギリスで始まった第一次産業革命は石炭を使うエネルギー産業が中心だった。その後、石油と電気が中心の第2次産業革命、原子力産業が興った現在を第3次産業革命と呼ぶ事もある。そして今、新たに第4次産業革命が始まろうとしている。それは生命操作に新たな産業の中心的な役割を担わせよう、とする流れである。内閣府のHPによれば、ゲノム編集や合成生物学などの新たな産業は将来600兆円規模のビジネスになる、という。だが、こうした産業革命のもたらした地球規模の影響が今、大きな課題になっている。地球温暖化は化石燃料を燃やして出来るCO2が原因だが、温暖化が問題になったのは1980年代後半になってからだった。100年前は誰も想像だにしなかった温暖化が今、地球の未来を危うくしている。1972年に専門家集団・ローマクラブが「成長の限界」を発表し、温暖化に伴う環境破壊や化石燃料枯渇に関して話題になったが、その後経済成長が優先され提言は無視されて今日に至っている。

 原子力開発が始まったのは1895年、フランスの科学者アンリ・ベクレルがウラン鉱物から放射線が出ている事を発見したのが始まりだった。それが第二次大戦の核兵器開発につながり、広島・長崎の原爆投下となった。日本で原子力の平和利用が始まったのは1970年、大阪万博会場に若狭湾から美浜1号(加圧水型)と敦賀1号(沸騰水型)の電気が送られたのが始まりだった。「原子力の軍事利用は悪いが平和利用は新時代のエネルギー」と国もマスコミも沸いた。だが当初から原発事故と高レベル廃棄物の問題を指摘した専門家達がいた。筆者もその一人である。しかし国や原子力専門家たちは「事故は100万年に一回、高レベル廃棄物はそのうち何とかなる」と豪語した。

 それから55年、大事故は3回(スリーマイルアイランド、チェルノブイリ、福島)起き、高レベル廃棄物処理は未だに未解決である。産業革命の大きな目標は「経済成長」である。経済成長が優先され問題は先送りされる、という構造が地球の未来を危うくしている。
2)生命操作の時代
 総ての生命は遺伝子で出来ている。その遺伝子を操作し産業化したのは「遺伝子組換え」だった。米国のモンサント社(現在はドイツのバイエル社の傘下)が除草剤ラウンドアップの販売を増やすために土壌細菌の除草剤耐性遺伝子を大豆遺伝子に挿入し、販売を始めた1996年が始まりである。その後ナタネなど様々な野菜が遺伝子組換えされ、大規模栽培が可能になって米国の主要な輸出産業となった。こうした異種生物の遺伝子を挿入する遺伝子組換えは、生物進化に逆行するものであり、批判もあったが輸出産業として米国、カナダ、ブラジル、インド等で定着している。しかし近年、残留農薬や抗生物質耐性、脳腸相関などに与える除草剤の悪影響が明らかになり、成長が鈍化している。

 代わって登場したのが「ゲノム編集」である。これは細菌の免疫反応を担う Crispr Cas9 という遺伝子が作る蛋白質が、標的とするDNAの塩基配列を切断する「遺伝子のハサミ」である。この Cas9 の成分gRNA(ガイドRNA)を人工的に合成することで、好きな標的RNAを切断して機能を失わせたり、そこに新たな塩基配列を挿入して本来の遺伝子の機能を変更出来る技術である。

 この技術を開発した科学者J・ダウドナ(米国)とE・シャルパンテエ(フランス)は2020年度のノーベル化学賞を受賞した。他にも人工合成した蛋白質分解酵素で遺伝子を切断する Talen や Zink Finger 等が開発されている。しかし、ゲノム編集で開発され商品化されているのは現在日本だけで、高GAVAトマト、マッスル真鯛、肥満トラフグ、成長の早いヒラメ、アレルゲンのない鶏卵、等がある。現在、更に多くのゲノム編集生物が商品化に向け開発が進められている。

 また、人工的にDNAやRNAを合成する技術も発達し、細菌の合成も可能になり「合成生物学」と呼ばれて新たな経済成長の手段になろうとしている。新型コロナ対策で登場した「メッセンジャーRNAワクチン」も人工合成したRNAである。このように遺伝子DNAやRNAの合成や切断技術の登場によって生命操作が容易になり、品種改良や医療技術、農業などに大きな影響をもたらしつつある。豚の肝臓や腎臓、心臓を使った人間への臓器移植も始まった。

 最近、世界の専門家達が危惧する新たな生命操作技術が登場した。地球上には存在しない遺伝子や蛋白質を人工合成し、「Mirror Life(鏡像生命)」という生命体の人工合成技術である。地球上の生物は総て遺伝子DNAとRNA、蛋白質から出来ている。DNAの鎖は化学的に右回り、蛋白質のアミノ酸配列は左回りの鎖で出来ている。これを人工的にDNAを左回り、蛋白質を右回りにして地球上に存在しない生命体を作る技術である。もしこの技術を使った生命体が出来れば現在の地球上の生命・生態系に未曽有の影響が起きるだろう。例えば、この細菌が感染しても抗生物質や医薬品は効かなくなり、ヒトの免疫反応も効かない。全ての薬剤や生物の免疫反応は、DNAや蛋白質の立体構造に結合することで機能を発揮している。鏡像生命は分子の立体構造が反射構造の為、既存の薬剤や免疫が機能しない。この技術が広がれば地球の生命の未来が危うくなる。しかし推進する科学者達はこの技術が新たな産業革命につながる、と期待している。生物兵器として使われる恐れもある。環境に放出されれば如何なる影響があるか想像も出来ない。

 こうした状況を危惧する世界の科学者38名が2024年12月に声明を発表し、この技術開発の中止を訴えた(Science 2024年12月12日号)。今後、本格的に活動を始める予定である。
3)生命操作の時代、私たちに何が出来る
 自然を利用して経済を発展させ、豊かな社会を作る。こうした考えは資本主義も社会主義も変わらない。技術の発展と共に人類は利用できる自然の範囲を拡大してきた。第4次産業革命を目指す「生命操作」は地球の生態系と人類に何をもたらすかを真摯に考えなければならない。生命が誕生したのは36億年前。絶えざる進化を繰り返して現在の自然生態系がある。人類は進化の頂点にあり、他の生物を利用して生態系を変えてきた。

 WWF(世界自然保護基金)によると1970年〜2016年の間に地球上の脊椎動物の個体数は68%減少した。特に川や湖等の淡水域では84%が消えた。これは人類による消費や環境汚染の結果である。今、生物の多様性を如何に維持していくかが問われている。ゲノム編集や合成生物学による生命操作は進化の歴史を否定し、地球の生態系破壊につながる恐れがある事を自覚すべきである。「生命」は人類だけのものではない。



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