05/01/10〜24
ヤソトーン



付 録


イーサン地方

タイ国は面積約51万平方Km、人口6300万人の多民族国家です。

イーサンというのはサンスクリット語で東北という意味。イーサンには複数の民族がいますが、北のほうから元寇(13世紀、日本にも襲来した)に追われて来たラオという民族がその主流のようです。言語はタイ語とほぼ同じ。

バンコク周辺の中部とイーサンとでは生活に格差があります。これはバンコクのように交易が盛んではなかったのが第一。チャオプラヤ川のような水量の豊富な川がないのと、土質が砂土で水持ちがよくないため、乾季には稲作ができないというハンディもあります。

乾季には作物が育ちにくいため、必然的に出稼ぎを余儀なくされる。若い人たちも田舎を出て都会へ働きに行くことになります。

ところが日本とちがう点があります。イーサン地方の農家は稲作の基本を守り続け、伝来の農地を手放すことなく相続し続けてきました。そして環境と協調した農業の方法を発展させてゆこうとしています。ヤソトーン県クッチュムの営農組合ヤーソーの取組みと成果は、その手本のような例といえます。

イーサンの現在と将来

都会へ出ていった若者たちは、いずれは地元に帰ってきて稲作農業を継ぐというのがこの地方の形ではありますが、今後後継者問題は無視できない事がらとなってくるのかもしれません。

また出稼ぎをすることなく、専業での農業を実現するには、乾季を地域単位での灌漑設備によって克服する方策も必要となるでしょう。それには多額の費用もかかります。

そのほかイーサン地方にはまだまだ色々な問題が山積みになっていますが、『有機』という基本を踏まえたうえでの転換、発展を考慮できる下地がすでにあるという点において非常に期待がもてるものと思います。

世界中の経済がグローバル化の波に飲まれようとしている昨今、イーサン地方にもその影響は波及しつつあります。イーサンでの地味な生活に反し、テレビには魅力いっぱいの都会での生活ぶりが映し出される。バイク、自動車、ファッションなど。

そんな経済に影響されながらも、イーサンの有機農業は日本やその他の国々がたどったような方向とはちがう、しかもタイの文化、自然を『農』を通して守り育ててゆこうと努力しています。

そしてなによりもイーサンの未来像は、わたしたち日本の農業にとって立ち返らなければならない『すがた』でもあるのではないでしょうか。




ヤソトーンの朝市から(01〜04はGMイネ反対集会でのバザーから)
クリックして拡大画面と説明をごらんください


ヤソトーンの朝市で見るタイの『食文化』はお米と魚、そして香りのもの。高温多湿の雨季を乗り切るには、食自体が薬膳である必要があります。毎日これだけのものを食べていれば、身体の健康は間違いなく約束されるという確信もしてしまうほどです。

イーサン地方では主食にお米以外、つまり麦の姿はまったくといっていいほど見かけません。それほどに米飯食が基本です。

私たち日本人は、その気候風土に合わない小麦をパンという形にして食べています。そのパン用小麦はほとんど米国などからの輸入に頼っています。

私たちはその主食である『米』をもっと大切にしなくてはいけません。さもなければ現在40%を切ってしまうほどの国内自給率を回復し、農業を活性させることは不可能といわざるをえません。

すべての食材が主食の米との係りで利用されている、といっても言い過ぎではないタイの食文化。まさにすばらしいコラボレーション。

それに対して一日二合のごはんとみそ汁、漬物、小魚というメニューの食事で千年以上も続いてきた日本の食文化。一見質素ですが、それでもりっぱに一日の労働を支え続けてきた日本の米文化。わたしたちは今一度『米』について深く考えなおすひつようがあるのではないでしょうか。