遺伝子組換え汚染と闘う農家
パーシー・シュマイザーさん 名古屋講演


 場 所:名古屋通信ビル(ホール)
     名古屋市中区千代田2−15−18
 と き:03/07/02
『遺伝子組換え作物作付け反対全国集会実行委員会』


講 演 録 はこちら


 7/2、鶴舞で行われたシュマイザーさんの講演は、北米カナダの農家で起こっているなかば信じがたい現実を物語るものでした。つまり、農家が自ら自家採取した種子を作付けできるという権利に対する巨大多国籍企業の生物の特許を盾に取った『種子の支配』についてです。

 遺伝子組換え作物が米国で開発され、商品化されてまだ数年しか経っていないというのに、すでに日本の面積の1.5倍以上の広さで栽培されている。その9割以上が米国とその直轄といっていい、アルゼンチンで行われている。

 カナダの農地でも米国と似たような遺伝子汚染が現実のものとなってしまっている。それは、大豆ととくにシュマイザーさんの主作物であるカノーラ菜種について深刻なものとなっている。


 1998年、サスカチュワン州のシュマイザーさんはモンサント社とのライセンス契約なしに、GMカノーラを栽培したという訴えを受けてしまった。もちろんそれまで、彼はモンサントのカノーラの種子を買って作付けしたことはなかった。もちろん自ら進んでその種子を採取して栽培するなど、考えもしないことだった。

 いわば、このふって沸いたような『訴訟』はいわれのない事であり、シュマイザーさんにとってはむしろ、種子に汚染を受けてしまったという被害者としての意識だけが浮上するという、なんとも納得のゆかない現実と直面することとなってしまったのだった。

 実は今日に至るまで、北米ではモンサント社に訴えられそうになった農家は、500軒を超えている。しかしながら、シュマイザーさんのように最高裁まで審判が持ち越されるという例はほかにはない。これは、個人である農家が巨大企業モンサントと裁判で対抗することで、巨額の費用を必要としてしまうこと。もしかすると勝ち目が無いかもしれないという予測のために、公判をあきらめてしまう。そしてモンサントから提示される『示談金』を受け入れてしまうから。

 どのような事情があろうとも、ライセンスなしで栽培されているというGMカノーラが農場に存在している限り、その所有権はモンサント社に帰属してしまうという、とんでもない理論がまかり通ってしまっているからなのです。

 シュマイザーさんはすでに、一連の公判のために3000万円以上の出費を余儀なくされました。そればかりでなく、今まで半世紀にわたって培い、育種してきたカノーラ菜種のすべても『GM汚染』によって失ってしまった。かれは2000年以来、カノーラの栽培はできなくなってしまったのです。

 このように米国・カナダでのGM作物の栽培がもたらしたGM汚染は、日本で想像するよりもずっと深刻な事態を引き起こしてしまっているということを、シュマイザーさんの報告から実感します。すでに自然界に放たれたカノーラ菜種は、ラウンドアップをかけても枯らすことのできない、厄介なスーパー雑草と化してしまっている。それらはとんでもなく広範囲に拡散していて、もはやそれを収拾することは不可能といってよい。

 今、日本でもモンサント社のラウンドアップ耐性大豆の作付けをしようとする動きがある。これは『バイオ作物懇話会』なる団体によるもので、一昨年から日本各地で敢行されている。昨年は北海道でかなりの広さで作付けされており、今年は反対運動のおかげで進んではいないものの、茨城県で収穫までを見込んだ作付けが行われている。

 もちろん日本で、奨励品種以外の大豆を栽培しても、交付金の対象にはならない。だから農家にとってGM大豆を栽培したところで、利益の対象にはなりえないことが明白といえる。にもかかわらず進められている大豆のデモ栽培は一見無意味な行為のように見受けられるかもしれません。しかしながら、今消費者、農家がこうした動きを見過ごすということが、GM作物の日本国内での栽培を容認、受容してしまうことにもなりかねない。

 今、南アメリカ、メキシコ、米国、カナダで起こっている『遺伝子汚染』が、日本で現実のものとなれば、この狭い国土という状況を考えれば、明らかに深刻な事態となりかねない。私たちがGMフリーの食品を選ぶ権利、農家が種子を自家採取する権利を放棄しなくてはならなくなる。そして、非GMの自然環境をも。

 GM作物の国内栽培だけは、許すことはできません。

疲れも見せず、立ったままでの講演は2時間も

パーシー・シュマイザーというひと

 名古屋での講演のために、その前日夜の名古屋到着のシュマイザーさんは、72歳とはとても想像できない、柔らかな物腰でフレッシュないでたちの方だった。名古屋講演を受持つ遺伝子組み換え食品を考える中部の会からは、名古屋大学の河田昌東さんと石川とでお迎えした。27日、バンクーバーから名古屋到着。すぐに熊本、徳島、大阪と間に休養日の日曜日をはさんだだけのスケジュールも物ともせず、さらに名古屋、東京、北海道は北見、札幌。さらに日曜日をはさんで、山形、岩手という強行な予定が。そんな駆け足の12日間は誰が考えても大変。

 ホテルのお部屋にお休みになるまでのしばらくの間、夕食をご一緒させていただきました。はるばるカナダからお一人でのたいへんな長旅にもお疲れのご様子もありません。今や彼は世界中を駆け回っておみえで、いままで42カ国を講演旅行とのこと。その超人ぶりには、ほんとうに驚かされてしまいます。

 彼の話の中ではアフリカ諸国、インドなど、途上国の名前がたくさん挙げられ、そこでの講演の様子を語る彼の表情はとても楽しげでした。たとえばバングラデシュでは、なんと4カ国語の通訳が必要でたいへんであった。などなどお聴きするうち、随所に彼の誠実な心遣いの深さがうかがえました。

 そんなふうに世界中あちこちと旅の連続なので、最近は自身のお宅にいることのほうが少ない。裁判が始まってしまってからは、モンサント社からの脅迫じみた抑圧もなくなったため、さほど心配もせずに済むようになったものの、彼が講演旅行に出てしまうときは念のため、奥様はなるべく娘さんの家にいるようにしているとのこと。

 日本では考えられませんが、こともあろうに自由の象徴とも言うべき米国、カナダでしかも、大きな会社がこのように農民の権利を公然と奪ってしまおうというようなことをする。それをGM推進派の国側が見過ごすばかりか裁判という場で、それを擁護するというような現実が繰り広げられている。これはほんとうにひどい話だということもおっしゃっていた。

 彼にとっていちばん残念なことは何かというと、菜種一筋、育種にかけてきた50年の苦労が、モンサントのGMカノーラに汚染されてしまったことで失われてしまったこと。そして、2000年を最後にカノーラの栽培ができなくなってしまっていること。

彼の手はまさに農夫のそれで、指は太く、ふっくらがっしりとしてたくましかった。

 しかし、そういった逆境について、彼は決してめげてしまわない。モンサントとの闘いは、最後の最後まで続ける、とそのやわらかい物腰の口調で言い切りました。半世紀を菜種の栽培と育種を続けるためには、最後まであきらめない、それでいてやさしく育むおおらかな精神があったのだと思う。世界42カ国の農民たちも、そんな彼の心根、誠実さに心打たれたのだろう。

 43カ国目の日本でも、それは同じであったと確信する。

左から、河田さん、古賀真子さん(日消連)


美しいシュマイザーさんのカノーラ畑。でも2000年以来、彼は作付けができなくなってしまいました。