遺伝子組換え汚染と闘う農家 パーシー・シュマイザーさん 名古屋講演
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■パーシー・シュマイザーというひと |
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名古屋での講演のために、その前日夜の名古屋到着のシュマイザーさんは、72歳とはとても想像できない、柔らかな物腰でフレッシュないでたちの方だった。名古屋講演を受持つ遺伝子組み換え食品を考える中部の会からは、名古屋大学の河田昌東さんと石川とでお迎えした。27日、バンクーバーから名古屋到着。すぐに熊本、徳島、大阪と間に休養日の日曜日をはさんだだけのスケジュールも物ともせず、さらに名古屋、東京、北海道は北見、札幌。さらに日曜日をはさんで、山形、岩手という強行な予定が。そんな駆け足の12日間は誰が考えても大変。 ホテルのお部屋にお休みになるまでのしばらくの間、夕食をご一緒させていただきました。はるばるカナダからお一人でのたいへんな長旅にもお疲れのご様子もありません。今や彼は世界中を駆け回っておみえで、いままで42カ国を講演旅行とのこと。その超人ぶりには、ほんとうに驚かされてしまいます。 彼の話の中ではアフリカ諸国、インドなど、途上国の名前がたくさん挙げられ、そこでの講演の様子を語る彼の表情はとても楽しげでした。たとえばバングラデシュでは、なんと4カ国語の通訳が必要でたいへんであった。などなどお聴きするうち、随所に彼の誠実な心遣いの深さがうかがえました。 そんなふうに世界中あちこちと旅の連続なので、最近は自身のお宅にいることのほうが少ない。裁判が始まってしまってからは、モンサント社からの脅迫じみた抑圧もなくなったため、さほど心配もせずに済むようになったものの、彼が講演旅行に出てしまうときは念のため、奥様はなるべく娘さんの家にいるようにしているとのこと。 日本では考えられませんが、こともあろうに自由の象徴とも言うべき米国、カナダでしかも、大きな会社がこのように農民の権利を公然と奪ってしまおうというようなことをする。それをGM推進派の国側が見過ごすばかりか裁判という場で、それを擁護するというような現実が繰り広げられている。これはほんとうにひどい話だということもおっしゃっていた。 彼にとっていちばん残念なことは何かというと、菜種一筋、育種にかけてきた50年の苦労が、モンサントのGMカノーラに汚染されてしまったことで失われてしまったこと。そして、2000年を最後にカノーラの栽培ができなくなってしまっていること。 彼の手はまさに農夫のそれで、指は太く、ふっくらがっしりとしてたくましかった。
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