パーシー・シュマイザー氏への電話インタビュー:

何がシュマイザー氏をそこまでがんばらせたのか?

 

ポール・ゲットリッチ

有機消費者協会

04年5月27日

訳 河田昌東

 

 このインタビューで我々は1998年以来モンサントと戦ってきたパーシーの粘り強さのもとになった彼の人生について学んだ。パーシーの支援に費やしたすべての時間は、彼が6年間自分の生活を賭けてやったと感じているように、世界中のすべての農民の利益にかなうものだ。モンサントはこの事件で勝利しなかったし、本質的にはパーシーと世界中の農民を激しく攻撃することでモンサントは己自身をおとしめたのだ。我々はパーシー・シュマイザーの最後を見はしなかったし、庶民の権利を取り戻す我々の戦いは成功だった!

 

   私への手紙の中で、フィリップ・L・ベレアノ教授はこの事件がモンサントの勝利ではなかったし、我々の負けでもなかった、ハーヴァード・マウスの判例は生きているし顕在だ、とはっきり述べている。 彼は我々すべてに最高裁の判決文を読んで、ウオールストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムス、その他の新聞各紙に載ったバイオ・ビジネスの言葉を信じないようにアドバイスしている。

     

 (*)ポール・ゲットリッチは健康と農薬やプラスチック、遺伝子工学、放射能その他のテクノロジーの社会経済的な影響についての著作者。シエラクラブの会員で遺伝子操作委員会のメンバー、テクノロジーの非営利的側面に関するアドバイザーでもある。彼の最近の論文は「貴方の生活からプラスチックを追放しよう」というタイトルで、リビング栄養誌に掲載された。

    

以下インタビュー:

 

LS(ルイス・シュマイザー:パーシーの妻が電話に出た):ハロー?

 

PG(ポール・ゲットリッチ):こんにちはルイス。ポール・ゲットリッチです。

 

LS:こんにちは。いかが?

 

PG:元気です。貴方は?

 

LS:元気、元気。

 

PG:パーシーはいますか?

 

LS:ええ、いますよ。待って。

 

PG:どうもありがとう。

 

PS(パーシー・シュマイザー):やあ、こんにちは。

 

PG:やあ、パーシー。ちょっと話したいんだが。今日、インタビューしたいって、言ってあったでしょう?

 

PS:ええ。

 

PG:どう?

 

PS:おお。大丈夫だよ。ありがとうポール。今日は小雨だよ。それに先週末、大きな集会があったんだ。だから私は今最高裁の決定から起ち上がりつつあるんだよ。

 

PG:結構だ。

 

PS:私は世界中から電話をもらったよ。そしてカナダでも判事の決定にたいしてちょっと大きな懸念が広がっているんだ。遺伝子に特許をとり、それを高等生物に入れさえすれば、高等生物自体に対する特許は必要ない、それは植物でも何でも、人間にいたるまで何でも良いんだ、という判決だ。

 

PG:パーシー、これからどうする?それを知りたがっている人は山ほどいるんだが。カナダ最高裁が貴方とモンサントとの事件をこんなふうに決定した今となって、次はどうするんだい?。

 

PS:ああ。実際のところ、次にやることは私の作物や私の純粋な種、私が開発した種がモンサントに汚染された事件について訴訟を始めることなんだが、妻も私もどうしたら良いか。でも、今後二週間以内には決めなければならないことだ。今は考える時間が欲しいんだ。この時点では妻はやりたくないと言うんだ。彼女は休む時間が必要だ、と・・・我々の年ではね。彼女が72歳、私が73歳だから、もっと一緒にいる時間を作って、引退したらやろうと思っていたことをしたいと。ご存知のように15人の孫や5人の子どもたちと過ごす時間・・・、釣りをしたり色々・・彼らが卒業するときも大半私は不在だったし。洗礼の式や何やかやにも居なかったんだ。だが、もしモンサントに対して責任訴訟を打たなければ、私がしなければならないことは、今日もそのことで話し合っていたんだが・・、モンサントの契約がどんなものか、汚染がどうして起こったか、生命全体が支配されてしまうことを、招待されたらどこへでも出かけていって話すことだ。でも、それも以前のように頻繁なペースでは出来ないな。 もっと家に居る時間を増やすように出かけるのを減らさないと。今の気持ちはそんなところだな。

 

PG:これまで何回飛んだ?今日は5月27日で、(最高裁が始まってから)5ヶ月目だが。他にもあっただろうし。

 

PS:1月1日以降、多分少なくとも100回は飛んだ。それに100回のフライトに加え、車で7〜8時間はかかるウイニペグやカルガリーにも行った。カリフォルニアにも一度車で行ったよ。ダコタにも。だから飛行機以外にも何回も車で走ったんだ。 例えば先週はカルガリーに行った。7時間かかったよ。 だから何回も何回も飛行機にのって、あまりにも時間をとったから飛行機に乗るのが仕事みたいになって、午前3時に乗ったことも少なくなかった。楽ではなかったんだ。それだけじゃなく、例えば、自分の農場を減らして人に貸さなければならなかった・・。でも今週私はトラクターに戻ったよ。昨日、やっと種まきを終えたんだ。自分の土地に帰って、一日中座って自然を眺めて、日の出や日没を眺めて、畑仕事をしながら小鳥や野生動物を見るのは最高だったよ。この2、3年したくても出来なかったので本当に良かった。これを取り戻したかったんだよ。でもまた私は、誰にも命に特許をつける権利はない、誰も他の命を所有することは出来ない、と話をするために時間を取らなければならないんだ。呼ばれたらどこへでも出かけていって、世界中の人々に話すために時間を使うよ。

 

PG:それを聞けばしばらくは人々の気は休まるだろうよ。そのことには私の沢山の知人も関心があるからね。これまで何カ国に行きましたか。

 

PS:GM問題では多分40から50カ国は回ったね。でもこんな事が起きる前の生活では、私と妻は冬の間はここでは何も出来なかった。家族で農機具販売の仕事もしていたよ。1月半ばから2月の終わりにかけて、あるいは時には3月末まで、時がゆっくり過ぎるので、妻と私は畑を健康に保ったりその他のプロジェクトの援助のために第三世界に出かけていたんだ。だから自分では1962年以来少なくとも147から148カ国は回ったと思っている。私たちは沢山の貧乏な人々も見た。土地の搾取も見た。特に私は子どもたちの事は・・飢餓や病気には本当に心配した。だから自分たちで出来ることをやろうと私たちはこれらの国々で沢山の時を費やしたんだ。普通、私たちは医師や看護婦などと一緒に旅行した。サハラ砂漠の横断中であろうと、5番目のアジアの国であろうと、何時だろうと我々はそのために時間を使ってきた。モンサントが私たちを訴える前、それをしたことが私たちに人々の文化や生き方、飢餓や貧困、病気などといった彼らが通過しなければならない沢山の困難について、幅広い知識を与えてくれたんだ。だから、モンサントがやっていることを・・毎年毎年自分で採った種を使うという農家の権利を奪おうとしていること・・・を知ったときに、これは第三世界の農民にとって何を意味するか分かったんだ。だから妻と私は証言台に立つことにしたんだ。第三世界の農民にとって影響は・・・アメリカやカナダでさえも最悪なのに・・・そこで農民にやらせようとしていることは、種を毎年毎年買わせ、農薬を使わなければならないように仕向ける・・・、そう、私たちにはその意味が良くわかったんだ。モンサントはこれら農民をとことん支配し、そのすべての権利を奪うだろう。農民に僅かな権利が残されたとしてもいずれ奪われてしまうんだ。だから、私が思うには運命が私の知っているこの地点へ私をつれてきたんだ。 このモンサントの支配で世界がどうなるか、単に政府レベルの支配でなくて、善良な市民を逮捕した企業によって、人々の権利が奪われることが私には分かっているのだから。

 

PG:もし彼らが貴方に対してやったことをインドやパキスタンやその他の・・・貧乏な農民たちにやったらどうなるか考えて見て・・・・。

 

PS:そうだよ。そこだよポール。私がメキシコシテイの大学で1年か2年前に話をした時に、そこに1人のメキシコの農民が来て居た。ある組織のリーダーの1人だったが(PG注:ミゲル・ラミレズ・ドミンゲス:オアハカ州イクストラン、メンデズ、カプラルパンの地区委員代表。 オアハカはモンサントの遺伝子組換えコーンで汚染された地域のひとつ)、オアハカ州から来ていた彼もその大学で話をしたんだ。会が終わって我々が分かれ、彼はメキシコに帰り私はカナダに帰ろうとしたときに・・・私は彼のあの目を、そして彼の言ったことを決して忘れはしないだろう。 彼は肩に手を回して私を抱き、こう言ったんだ。 「パーシー、諦めるんじゃない。少なくとも北アメリカのあなた方には反撃するチャンスがある。我々にはもうチャンスが無いんだ。反撃する手段が無いんだよ。」彼の目を見、彼らが先祖伝来のコーンの半分をGMO汚染で失ったことを知って、私はさらにやる気を与えられたんだ。人々の権利がどのようにして奪われるかを思うと、時々彼の姿が私の心をよぎる。もし人がトウモロコシの文化を、つまりメキシコの人々がかつてもち、今もメキシコのある人々が持っているのと同じ文化を持つなら、トウモロコシは彼らにとって神・・・まさに神だったんだ。それは単に種子や植物といったもの以上のもの、文化そのものなんだよ。 ポール、それこそが妻と私がこれまで見てきたもの・・・野蛮で人々の権利を抑圧し、人間の自由を奪い去る何物かなんだよ。私たちは単に旅行してきただけじゃない。もともと旅を始めた時、始めの何年間は単なる旅だったさ。しかし、ひとたび旅のやり方が分かると私たちは自分たちのための計画を立てたんだ。観光旅行とはさよならだ。私たちは旅先の人々のところへ行き一緒に生活した。彼らと同じ物をたべ病気にもなった。私たちは彼らと楽しいひとときを持つことが出来た。それが人々のフィーリングを本当に学び、理解するやり方だよ。そうすれば彼らの過酷な運命や彼らの楽しみを分かち合うことが出来る。そうしたことが私に真のバックグランドを与えてくれたんだよ。 妻が何時も言い、そして私も不思議に思うんだが、「それは何故私たちなの? 何故私たちがモンサントに立ち向かうの? モンサントに立ちむかうような立場に何故私たちがなったの?」ということさ。

 

PG:そうだな。そうするには相当のパワーが要っただろう。

 

PS:もう一つはね、ポール、これまで誰にも話したことがないんだが。私は本当はここに生きているはずの人間じゃないんだ。生涯の中で、私はこれまで3回の大きな事故にあった。最初は・・私は生きて帰れなかった数人のうちの1人だった。毎朝目がさめると私はまだ生きていることを神に感謝する。何故なら、さっき言った様に私はその事故を生き残ったからだ。私はある大きな大きな農機具の事故に何回も遭った。私は文字通り引き裂かれた。再び歩けるようにはならないだろう、と言われた。でも私は生き残りそれを克服できた。それは私に戦う勇気を与えてくれた。本当に戦うということをね。私は自分の命のために・・・生きるために戦わなければならない・・・とね。私は出来ることは何でもやった、そしてこれらの事故から生き延びたんだ。これは本当の戦いの精神を私に植え付けたと思う。だからモンサントがやってきて人々の権利を奪おうとした時、彼らに立ち向かう精神を・・・どうやってこの事故に対して自分の生活を守り戦ったら良いか、どうやって生き残るべきか考えたんだお前は二度と歩けないよ、と言われ頭と足がばらばらに引き千切られたとき、よし生きてやるぞ、という情熱が生まれたんだ。

 

PG:あのこと、ほら、ストーン・プラーについて説明してくれるかい。何時か言っていたでしよう。ストーン・プラーって何だい。

 

PS:ああ、あれね、ポール。普通はストーン・ピッカー(採石機)って言うんだよ。それはある種の機械だ。大きさが約7フィートあり巨大なリールがついている。例えば回転耕運機のようにリールが回るんだ。しかしそれはものすごくでっかくて、多分幅が5フィート、長さが7フィートはあるだろう。それをトラクターで引くが、2トンか3トンの石が入ろうという大きなバケットが それに付いている。 トラクターの動力で引っ張りまわすとそいつが回転する。そして石を拾うんだ。多分、ガスボンベほどの・・・ああ45ガロンはあるドラム缶くらいの石でもやすやすと拾うことが出来るよ。そして事故が起こったんだ。私はその機械をチェックしていた、その時機械にはさまれ、20分以上もその中に居たんだ。私はあちこち引っ張りまわされた。それは鉄のバットと鉄のフォークで出来ている。文字通り石のようにばらばらになるところだった。石は人間の体より丈夫だよ。全くひどい体験だった。私は今でも悪夢を見るよ。79年のことだった。    

 

PG:そのことを聞かれて嫌じゃないかい?聞いても良いのかい?

 

PS:ああ、大丈夫だよ。

 

PG:さっき話していたとき、その石は1フィート半か2フィートはあったと聞いた気がするが・・・。

 

PS:ああ、少なくともそれくらいはあったよ。

 

PG:もっと大きかった?

 

PS:1ガロンの石油缶くらいの石なんかあんたには持ち上がらないだろう?それより小さくても・・・拳大くらいの石なら拾えるだろうが。

 

PG:その機械の鉄の爪の大きさはどうなんだい? 外に突き出しているやつさ?直径1インチく   らいか?

 

PS:それは歯のように並んでる。一本の歯が7インチから8インチはあって鉄の板に並んでて、それが回転しているんだ。

 

PG:それを畑で1人で運転していたのかい?

 

PS:そうだ、そうだよ。夕食後にその機械をチェックに出かけたんだ。8月の美しい夕方だった。調子が悪かったので原因を調べに出かけたんだ。その時私は前かがみになっていて、動力源にはまだギアが入っていた。突然機械が私の胸か腹をつかんでぐるっと回り、私を空中に放り投げた。それから私は頭から落ちて、機械に採りこまれたんだ。足が石を持ち上げるエプロンの下に挟まれるまで私は中でぐるぐる回っていた。 それから自動スリップ・クラッチが作動して私の体が楔のように働いた。スリップ・クラッチは普通のクラッチのように鉄製で、多分直径18インチはある鉄の部品がついていて、すべると空回りして、ちょうど4分の1インチ進んでとまるようになっているんだ(この部分意訳)。私はどれだけの時間そこに挟まれていたか・・・近所の人が私の悲鳴と叫び声を聞いて来るまで。彼がトラクターを止めてくれたんだ。

 

PG:ワオ!。その鉄片が体中に刺さったんだね。

 

PS:そうだ。37箇所に食い込んでた。無事だったのは頭と右腕だけだった。回復に4年半かかったよ・・・再び読んだり歩いたり出来るまでに。沢山の手術をうけたよ。しかしそれでも、病院から帰るとまだ仕事が出来たんだ。またトラクターに乗ったよ。回復してまず最初にやったことは、トラクターのところへ行くことだった。誰かに手を貸してもらって、ストーン・ピッカ−に乗ったよ。そしてそれを動かして石を拾い、機械の恐怖を克服しようとしたんだ。

 

PG:様子が目に見えるようだよ。

 

PS:(ハハハ・・・)。

 

PG:先回話を聞いたときは足がだめかもしれないと言ってたが。

 

PS:ああ。片方の足がほとんどだめだった。だから又手術さ。足の長さが左右で4分の3インチ違ったんだ。文通り案山子状態さ。痛かったね。でも、ストーン・ピッカ−の中に取り込まれて、生き残れたのはこれまで私たった1人だけらしいよ。

 

PG:もう二度と歩けないって医者は言わなかったかい?

 

PS:そう言われたよ・・・再び歩けないだろうとね。二人の医者に・・・友人でもあるんだが・・・こう言ったことを覚えているよ。戦って出来ることは何でもやる、生きるためにやってみるってね。こう言ったんだ。「あんたは自分の出来ることをやれ、私は私の出来ることをやるから」って。彼らは本当に何ヶ月も、実際には何年も良くやってくれた。私は松葉杖をつい   た、どれくらいの期間だったか覚えてないが。それはまさに経験だったね。でも私は生きたかった。私のこの生き延びたいと願う気持ちを他の人々の災難に置き換えて考えると・・・飢餓や餓死に直面した場合どうやって生き延びたらい良いか、ということだ。私はストーン・ピッカ−に挟まれたが、彼らは多くが脱出できない状況の中にいるんだ。私は病院に行くことが出来た。私は医療の助けを受け、治療を受けることが出来た。しかし、こうした人々には助けが無いんだ。しかも危機に瀕している。私がストーン・ピッカ−の中で死ぬのと、私が世界の多くの国々で会った人々が飢餓で死ぬのと、どこに違いがある?あるいは、親が自分の子どもたちが感染病や他の病気で死ぬのを見るのとどう違う?

 

PG:・・・・そして、(本当は)彼らがそうやって病気になったり死んだりする必要がないんだってことを知ることも・・・。

 

PS:そのとおりさ。君も知ってるように、食糧援助が船から下ろされて波止場についても、軍隊や政府間衝突、内戦などで配分されず、輸送が軍隊によって邪魔されたり、といったことを私は数多く見てきたよ。その挙句、食料はゴミになって人々には届かないんだ。こうしたことを私はみんな見たよ。それに、援助食料が沢山の国から贈られたのに、その国では市場で売られているのも見た。それが食用油だろうと何だろうと、ブラック・マーケットを通じて売られるんだ。私は何回も「非売品」と表示のある缶詰めが売られているのを見たよ。それがドイツからだろうとアメリカからだろうと市場で売られるんだ。

 

PG:ニューデリーのデビンダー・シャルマは遺伝子組換えとグローバリゼーションがインドのような国に与える影響について話しているよ。彼は、インドの飢餓地帯では数千人が死んでいるが、その同じ地域で何十万トンもの穀物が政治的理由やその他の原因で野積みになったまま腐っていて、新たな人々が死にかけている、と言ってる。人々にはお金が無いので、売られることもないんだ。

 

PS:それは実際に起こっていることだ。2年ほど前、私がインドに行った時、パンジャブ州には六千万トンの過剰な食料があった。なのにインドの多くの地域では人々が飢えて餓死していた。これは政治の、経済の、そして輸送上の問題だよ。実際、世界では必要な量の1.5倍の食料が生産されているんだ。にも関わらず世界には沢山の沢山の飢えた人々がいる。政府はこうしたことを解決すべきだよ。人々を養い、こうした人々に与えるように。私が言った様に、世界のモンサントは彼らが言うようにGMOで持続的農業を可能にし、世界の飢餓を救おうというのなら・・・それは真実とは程遠いが・・・最終的に彼らが心すべきはそうしたことだよ。私たちはもうGMOが品質も悪く、収量も少ないし、多くの雑草が薬剤耐性になったので前よりも沢山の農薬が必要だと分かってしまったんだ。だから、彼らにとってその意味はもう明らかさ。彼らの目的は農薬を沢山売ることだし、GMOは種子や植物を、そして究極的には食料供給を支配することさ。かりに食料を支配したとしても、誰も簡単に国家を支配は出来ないさ。

 

PG:彼らはこれまでそれをやってきたんだ。

 

PS:まさにそのとおりだ。カナダ最高裁が種子や植物、そして基本的には生命を支配する権力を多国籍企業に与える決定をしたら、その結果起こることはそういうことだよ。

 

PG:今、インドで政権が変わるのを期待しているんだ。最近選挙があったばかりで。まだ混迷が続いているんだが。でも、国家をモンサントのようなところへ売り渡すような人々を排除したんだ。そこから何か良いことが出てくるかもしれない。

 

PS:そうなれば良いんだが。昨日、私はバンダナ・シヴァともう1人の人にラジオの電話インタビューを受けたんだ。その人はどこの人だったか忘れたが。彼女は言っていた。インドで、農家はもしこの(GMOの)種を買えば、次の年は使おうとしても使えない、とか特許料を払わなければならないとか、もう一度種を買わなければならない、とか知らされていないんだって。そして、多くの人々は何が起こるか知らないといっていた。彼らは種子会社が言ったことやモンサントが言ったことを信じている。そして翌年採取した種を使えず、もう一度買わなければならないんだ。そうすれば、彼らは完全にやられてしまう。彼女の国で何千人もの自殺者が出たことを彼女が話し出した時の話だよ。今、医療関係者の間で殺虫剤や除草剤などの農薬を使うことについて懸念が広がっている。カナダでは多くの地域で芝生や特に公園で農薬の使用を禁止している、というのも草の上に子どもたちが直接座ったり遊んだりするからだろう?ちがうかい?

 

PG:ああ、知ってるよ。

 

PS:だから、多くのところで農薬は制限されている。特に公園では一切の農薬を使えないよ。だからタンポポがあった所にはタンポポがまた生えてきたんだよ。

 

PG:そう、それはものの考え方だよ。

 

PS:そう。

 

PG:それには教育が必要だ。

 

PS:だんだん注目を浴びているよ、ポール。新聞も私の裁判が昔の様子を思い出させてくれた、と言っている。実際、私は自分も予想しなかった所である程度目的を達成したと思うよ。GMOに対する人々の注意を集めただけでなく、農薬や環境ばかりでなく人間にも有害なものにも注目させたんだ。そうして、私の弁護士が言ったんだが「 状況は変わった。貴方は実際に状況を変えたんだ。」って。良い気分だった。彼が言うには、私が世界中を歩き回り、人々にGMOの事ばかりでなく、モンサントの契約とか恐喝文書とか、やつらがどうやって人々の権利や話をする自由を奪ったかを話したことが状況を変えたんだ、と。貴方がもたらしたのはもっと全体的な問題提起だと。

 

PG:君がやったことは素晴らしいことだよ。君がやり遂げたことに私は襟を正すよ。

 

PS:ありがとう、ポール。最高裁が4対5、あるは5対4、まあどう呼ぼうと関係ないが・・・、で(私の敗訴を)決定したので、世間では最高裁での意見の不一致が明らかになった、と言っているよ。特に主任判事の1人、女性だが、彼女の意見は、ハーヴァード・マウスの件で高等生物に特許を認めなかったことと今回の決定は矛盾すると述べている。だからあの特許には従わなくて良いが、遺伝子の特許を通じた支配と所有権には従わなければならないんだ。マウスに遺伝子を放り込めば、そのマウスを支配し所有することが出来る。私の事件では最高裁に多くの矛盾があるよ。だから、皆が最高裁がすべてではない、って言うんだ。 カナダ議会が問題だ。六月の末には連邦議会選挙がある。だから政治家たちにプレシャーをかけられるよ。実際、私は明日の夜B.C.(ブリテイッシュ・コロンビア)で話をするが、そこには地方議会ばかりでなく連邦議会の候補者も来るはずだよ。

 

PG:そこから何か生まれると思うかい?

 

PS:ええ。今回は主要な組織のいくつかが、カナダ議会で議席を得るまではやる、と強い圧力をかけているからね。人々には警告が発せられている。その警告は、裁判官が企業に対して種子や植物、食品などをすべて支配する権利を与えたということだ。人々はそれに気がついた。彼らは、事態があまりにも遠くに来てしまった、と感じている。

 

PG:パーシー、本質的にはそのとおりだが、裁判所はそうは述べていない、違うか?

 

PS:うん、そうは言ってない。しかし、法律家や法学部の教授達は・・・そう言ってる・・・よ。

 

PG:・・・債務不履行。彼らが決めたのはそれだけだ。

 

PS:厳密には彼らが認定したのはそのとおりだ。しかし、そう言うということは遺伝子流出の結果責任問題が生ずる、と言っていることと同じなんだ。だから、遺伝子がらみのことはすべて、それが人為的に導入されようとあるいは受粉の結果起ころうと、すべて、もしモンサントが所有権を持っていて支配していれば責任問題が生じ、汚染で生じたことに農家が責任を負わなければならないことになる。

 

PG:ジョー・カミンズ教授を知っているかい?

 

PS:ええ知ってます。

 

PG:彼がGMウオッチのメーリングリストで送ってきたのを見たよ。それは2002年の研究だが、たしかGMOを食べさせたマウスかラットの細胞に変化が現れたという議論をしていたよ。

(訳注:http://www2.odn.ne.jp/~cdu37690/gmdaizuwotabesasetamouse.htmを参照)

結論は たしか通常は起こらない変化がこの場合には起こったということだったと記憶しているが。

 

PS:そうそう。私がインドでイギリスのプシュタイ博士と会ったとき、彼は腸の細胞の成長率が上がったという実験を私に話してくれたよ。ドイツでは遺伝子の水平伝達が起こっていると言っている。つまり、胃から血液に入るだけでなく腸からも入るって言うんだ。何だかタバコ産業みたいな話だね。結果が出るまでに何年も長い間かかる。それから、表示がないのも問題だよ。これは別の問題だが。ここの人々は表示を求めて運動を始めているよ。企業側の代表はいつも、コストがかかりすぎるというがね。人々はもう我慢できないよ。どこかの国で出来ればカナダでも出来るに決まってるさ。

 

PG:全くそのとおりだ。コストがかかりすぎるというのはナンセンスだ。

 

PS:表示について言えば、ねえポール、お店で何か買えば何にでも2カ国後で書いてあるじゃないか。だからさ、やる気があれば表示出来るんだよ。

 

PG:カナダではフランス語と英語と両方でかいてあるもんね。

 

PS:そうさ。何を買ってもだよ。

 

PG:ところで、君は3回事故に遭ったと言ったね。この農場の事故は何回目だね?

 

PS:もう一つは、海で気絶して引き上げられた時だよ。底流に飲み込まれたんだ。あの時は危機一髪だった。誰かが引き上げてくれた。私は全く意識が無かったよ・・・全く・・・。これが最初だ。その次は、カナダとアメリカ、ニュージーランドその他の国際グループでキリマンジャロに登った時さ。我々は同じように登っている他のグループに出会ったんだ。 タンザニアの革命派たちだった。彼らは山頂に自分たちの旗を立てようとしていた。私はグループの中でも足の速い方だったので、半日間かそこら彼らと一緒に行動したい、と言ったんだ。私は彼らが何故革命派なのか知りたかったし、彼らの福祉に関する考えなども知りたかった。 その中の一人は英語が話せたし。彼らと数時間一緒に登っている間、私はその1人に自分の水筒を貸したんだ。彼はアフリカ肝炎か何かのキャリアだった。カナダに戻ってから4週間かそこらして発病・・・彼から感染してしまったんだ。 生き残れるかどうかは50/50の確率だと言われた。病院に7ヶ月入院していた。結局生き残ったがね。これが私に起こった3回の事件さ。

 

PG:カナダに戻って、最初にどんな症状が出たの?

 

PS:ああ。帰って3週間後突然力が出なくなって、ちょうどその頃は種まきの時期だったんだが。本当に突然私はシャベルも持ち上がらなくなったんだ。それから黄疸になって。それから16日か17日間意識不明だった。  点滴を受けていたが、医者たちは何が悪いのか分からないので、試験的な手術をしようと考えたらしい。カナダではこんな肝炎の経験が無かったんだ。インドの医師が居て、彼が言った。「君が生き残れるチャンスは五分五分だ。もし何が悪いか知るために試験的な手術をすれば、君のチャンスはちょっぴり小さくなる」。だが私はそれを選択するしかなかった。私は手術を受けるのを選択したわけではなく、彼がインドの医者で私の肝炎に何らかのアイデアを持っていたからだ。私の目は真黄色だったし・・・体全体も・・・全てが黄色だった。それは正しい選択だった。回復に7ヶ月かかったよ。

 

PG:その間、貴方は隔離されていたんですか?

 

PS:ああ、そうだよ。文字通り完全な隔離だった。妻さえも、面会に来たときは完璧なゴムのガウンを着てマスクを付け、ゴム長と手袋などをつけなければならなかった。面会者はドアから中には入れてもらえなかった。ある種の疫病に罹ったと知った時の私の気持ちが想像出来るかい? (クスクス笑い)でも、私はゆっくりと生き返った。でも体重は大きく減ったよ。はっきりは覚えていないが、30ポンドかそこらは減った。でもそれも克服した。そのおかげで、私は何時も検診を受けなければならないし、お酒も飲めない。酒瓶に触れてもいけなくなるなんて思いもしなかったよ。未だに影響はあるが、健康に関する限り私は非常に良い状態だよ。 こうしたことが私の人生で乗り越えなければならなかったことだよ。これが私を戦士にしたんだ。皆が私をファイターと呼ぶのは生き延びるために私が戦わなければならなかったからだと思っているよ。

 

PG:ところで、パーシー。こうした試練を受ける以前から君はそんなスピリッツを持っていたはずだ、と私は思うんだが、そうじゃないかね?

 

PS:ああ、そうかもしれない。個人的な性格かもしれない。でも、何時も私を困らせることが起こって来るんだよ。もし誰か病気の人が「もう死にたい」っていうのを聞いたら、私は自分が生き残ったんだから、それは私にとって何だろうかと思う。 私は生き残るために激しく戦った。だから誰かがそんなことを言ったら私は困ってしまうよ。

 

PG:でも彼らは君とは違うよ。君ではないよ。君の心と共通の何かではないよ。

 

PS:ああ、そうだけど。

 

PG:まあ、それは貴方のやり方だがね。君は信じがたいほどポジテイブな人間だと私は思うよ。私が会うときは何時だって積極的なんだから。

 

PS:私の人生でいくつかの発見があったんだよ、ポール。何時も積極的に物事を考えなければならない。いつもそうするように努力してきたんだ。人生の戦い全てだろうと、モンサントとの法廷闘争だろうと、私は何時も積極的に考えた。私の場合はどうなんだ?と。それが自分の助けにならないなら、誰か他人の助けになるのか?道路下で何が起こってる?って。 もう一つ何時も私が思っていることは、もし何かが起こっても自分自身を決して落ち込ませないことだよ。何かどうしようもない事が起こっても落ち込むなってことだよ。妻も私も、もし私達が落ち込めば自分自身をだめにしてしまうだろう、だから私達は何時も積極的な態度をとらなければいけないって、分っているんだ。また、何時も思うんだが、ポール、出来ないことでも決して諦めてはいけないよ。誰にも理解されず、誰からも同情されなくても、あるいは愛されなくても、自分自身がそうならない限り諦めてはいけないよ。私達は生き残るためにそうしてきただけなんだ。諦める前に自分自身をしっかりさせなきゃいけないよ。

 

PG: 私は何が君をそうさせたかに興味があるんだ。君はモンサントとの問題に取り組む前に、いろんな国々を旅して人々と暮らしてきた・・・・何故そうしたいという気持ちになったの?まず始めに、旅に出始めたのは何歳のときでしたか?

 

PS:ええ。多分1962年ごろだったと思うよ。ですから私は31歳でした。でもその時は、ポール、お分かりのように私の生活は全て政府の仕事だった。私は地方議会の議員、州議会議員でしたから。田舎の有権者・・・といっても私はかなり大きな地方都市出身でしたが・・・私が代表していたのは基本的には農民でした。だから議会では私は何時も農民の利益になるように規則や法律、農民の利益になるような規制のために戦っていた。私は沢山の農業関係の委員会に属していて田舎の計画に関わっていた。それで、農業政策に関する連邦レベルの問題で自分の州を代表して何回も発言したよ。私の人生は何時も農民の利益になると私が思った規則や法律、規制のための戦いだった。こうしたことも私のバックグランドを形成したと思う。それから、人々がどのように生きているか・・・彼らの困難や楽しみ等など・・・を知るための世界旅行の問題だが・・・。

 

PG:でも貴方はそれに興味があったんでしょ? あんたのような人はあまり知らないね。私の友人達の多くはどこかサニー・ビーチのようなところへ生きたがるし。 彼らが会うのは彼らを待ちうけている人々だよ。

 

PS:ああ、そうだよ。ところで私の政治家の友人達は私がサハラ砂漠なんかでの二ヶ月間のテント暮らしの休暇から帰ってくると、沢山の同僚達が家にやってきてこう言うんだ。「パーシー、何が気に入らないんだね。君と君のかみさんは何故ハワイやどこかのビーチで楽しまないで、そんなくたびれる旅をするんだね」ってね。例えばこんなことがあった。私達はサハラ砂漠を端から端まで横断したことがある。六日間かかったが。妻と私は避難用のテントで暮らした。時々私達は砂嵐で方角がわからなくなった。そんな時、私達がしたことは他の人々の経験に学んだり、彼らの文化を通じて彼らがどうするかを知ることだった。観光旅行でなく、私がしたように長い探検の旅の中で彼らと一緒に暮らしたり彼らの国を歩いたりしないでどうやって彼らの文化や感じ方を知ることが出来るかね。

 

PG:大抵の人は知りたいとも思わないね。

 

PS:(クスクス笑いながら)そう・・・そうだ。君は正しいよ。だって彼らはそうした現実に目を閉じたいからさ。彼らはそこに(問題が)あることを知っている。でも見たいと思わないんだ。

 

PG:いや、知れば考えざるを得ないからさ。

 

PS:全くだ。

 

PG:君は誰も批難できないよ。君はそれを知ったとしても誰かの悪口を言ってはいけないよ。

 

PS:そうだ。私と妻はいつも子ども達を尊重し愛している。私達には5人の子どもが居る。そして15人の孫がいるんだ。しかし、何時も私がアフリカや中央アメリカの旅から帰ったとき、特にアフリカやバングラデッシュなどから帰ったときは、家に帰って遅い夕食になったときは、子ども達がお皿半分もの食べ物を残しているのを見るんだ。 何千人ものアフリカの子ども達が大きなお腹をして栄養失調で飢えているのを見た後で、妻と私がどんな気持ちになるか分かるかい? ここでも又皿いっぱいの食べ物が残飯として捨てられているんだよ。 今日もどこかレストランへでも行ったら、皿に半分とか、ちょっと食べただけでゴミに捨てられる食べ物が私達を悩ますんだよ。旅をすれば世界でが進行中で何が起こっているかもっと分かるよ・・・そこで起こっている災難が・・・。

 

PG:それを知ることは我々皆にとって必要だね。

 

PS:私はたびたび次のように言っているんだ。皆にこうした国々に行けるチケットや航空券を配って他国の人々の生活を見れるようにすべきだとね。そうして自分の国に帰ってきたら、アメリカやカナダなど自分の国にもっと満足すると思う・・・如何に我々が幸せか・・・。だが、我々はそれを知らないし、理解していない。それに感謝もしていない。

 

PG:ここアメリカではかつて徴兵制があったね。それをもう一度復活して・・・私は知らんが・・・このケリーのような性格の人が次の大統領になれば。しかし、この種のことは・・・必要な公共サービスがある。今は行われていないが・・・。人々と社会の関係が断絶している・・・それが全てを意味している現実だ。人々は社会の意味を分かっていない。その意味が分かっていないとしても、それを守るために何をしたら良いのか? 個人と社会の関係は切れているから。

 

PS:ポール、まさにそれだよ。人々には現実感がない。彼らは自分の小さな世界に閉じこもっているんだ。彼らは自分の世界から出ようとしない。彼らは実際、・・・君が言うように何も知らない。多くの人々はまさに何が起こりつつあるか知りたくもないんだ。自分の小さな世界に閉じこもっていたい。彼らはこう言うんだ。「そのことは私に話さないでくれ。一人にしてくれ。私は自分のことで手一杯だ。」とね。

 

PG:余った時間で彼らは好きな小説を読み、モンサントが広告主の、似たような人々が原因の最近のニュースを見る。だから当然彼らは自分が見ているテレビ・ニュースの現実感を得ようとしない。そして彼らはどこへも行こうとしない。でも彼らは消費者だ。彼らは次のラジオかテレビ番組が何であろうと、500もの番組を聞いたり見たり出来るんだ。そして誰もが無関心のままだ。貴方はテレビをよく見ますか?

 

PS:イヤイヤ。見ないよ、ポール。時間がないよ。でもポール、こうしたことには全く別の見方も出来るよ。私の家族・・・とても親密で絆の強い家族だ。しかし、それ以上のものがある。私達の戦い、モンサントとの闘争・・・彼らとの法廷闘争で私はそれを手放さなかったよ。私は世界中の人々の支援を受けたし、ここでも・・・友人や近所の人、等などの支持を得た。

 

PG:・・・そしてルイスからもね。

 

PS:・・・妻のね。私は彼女の支援なしには戦いが出来なかった。そしてこれにはもう一つ、別の話があるんだ。妻はとても信心深くて沢山祈るんだ。私達はカトリックだ。彼女はほとんど毎日のようにミサに行く。歩いて行くんだ。自分の足で・・・(教会まで)4分の3マイルはあるだろう。彼女はそれを毎日やる。この信仰が私達を何時も何時も私達を支えてくれたと思っているんだ。2年前、私は妻のルイスに言ったんだ。「ルイス、取引をしようぜ。君は祈りを、私は戦いをやるんだ」ってね。

 

PG:(大笑い)

 

PS:それはうまくいったと思う。でも誰もが持つべきなんだ・・・私達が持っている強い信仰心をね。私達はもちろん狂信的な、あるいはそうした類の信者ではない。でも、私達は神のなさることに感謝している。それを尊敬している。だから私達は他人の意見を尊重し、感謝するんだ。だが、いずれにせよ、さっき私が言ったように、誰もが自分自身の中に何かを持たなければならない。誰もが自分自身であることを放棄してはならないんだ。

 

PG:全くそのとおりだ。とても良い終わりになったよ。貴方にインタビューする機会を与えてくれてとても感謝しているよ。貴方と話すのはいつもうれしいよ。

 

PS:ありがとう、ポール。とても良かったよ。君とは多分2年来の知り合いだと思うが。最後に、モンサントとの戦いの話に戻るが、農民の権利は決して奪われてはならないし、毎年毎年自分の種子を使えるようにしなければならない、と私達は思っているよ。 もしこの権利を奪われたら、将来世界中で新たな種子や植物を開発出来なくなってしまうよ。 そればかりか、農民は単なる土地の奴隷になってしまう。 そして封建時代に戻ってしまい、社会に食料を供給する全ての支配力を失ってしまうんだ。

ポール、君と話が出来て本当に良かった。君と話をする時は何時も楽しいよ。

 

PG:どうもありがとう、ポール。ありがとう。サンフランシスコに来る時があったら、家に泊まってくださいよ。

 

PS:きっとそうするよ。最後になるが君のかみさんによろしく、特に息子さんにもね。

 

PG:OK。どうもありがとう。

 

PS:OK,ポール。さようなら。

 

 

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