学校における「遺伝子組換え実験」は危険

 

――――小・中学校、高校での遺伝子組換え実験に要注意―――

 

遺伝子組換え情報室 河田昌東

 

最近、高校や小中学校で理科離れの傾向にある生徒達に理科に対する興味を持たせようと「誰でも出来る遺伝子組換え実験」がしばしば行われている。文部科学省もそれを積極的に後押ししており、今後多くの学校でも採用される可能性が高い。しかし、この実験は以下に述べる理由により、正確な知識や設備のない小・中学校や高校で安易に行うのは危険である。

 

実験のやり方:

メーカーから購入した発光クラゲの遺伝子を含むベクターDNA(遺伝子の運び屋)を溶液に溶かし、大腸菌の溶液に混ぜる。1分程度42度Cに保温し、氷で急激に冷やす温度ショックを与える。その溶液を、抗生物質を含む寒天培地を入れたシャーレ(ペトリ皿)に移し、37度Cで一夜保温する。寒天培地上に大腸菌のコロニーが出来たら、これに紫外線ランプを当てると、発光遺伝子を含む大腸菌のコロニーは緑色に光る。使うベクターによっては可視光でも光るように工夫したものもある。

 

問題点1: 抗生物質耐性遺伝子の問題

こうした実験で使われるのは、ほとんど発光クラゲ(オワンクラゲ)の遺伝子である。

この遺伝子キットはアメリカのクロンテック(Clontech)社やバイオラド(BioRad)社などいくつかのメーカーが製造販売している。国内では製薬会社などが輸入していると思われる。この遺伝子カセット(詳しくは後述)にはクラゲの発光遺伝子(GFP)の他に大腸菌由来の抗生物質耐性遺伝子「アンピシリン耐性遺伝子」が必ず含まれている。従って、発光している大腸菌は同時に抗生物質アンピシリン耐性菌でもある。特殊なベクターと動植物細胞を使えば、光る抗生物質耐性細胞になる。学校で実験が終わったとき、この菌の行方はどうなるだろうか。殺菌剤で処理してから処分することにはなっているのだが、不用意にゴミ箱や流しの排水孔にそのまま捨てられることはないだろうか。もし、そうなれば大変危険である。今、病院などでは抗生物質の効かない「耐性菌」が蔓延する院内感染により感染症の治療に大きな支障をきたしている。これは、病院などで安易に抗生物質を多用した結果だと言われている。上記のような実験は最初からアンピシリン耐性菌を増殖させるもので、後処置が不適切であれば環境中にばらまく結果となる。また、滅菌操作が不慣れな生徒達による菌の取り扱い次第では、生徒が耐性菌で感染することもありうる。大学や研究所では、実験後の組換え細胞は殺菌剤や高圧滅菌器などで殺菌破壊してから産業廃棄物として処理される。しかし、小・中学校や高校で高圧滅菌器などを備えているところは少なく、実験後の廃棄物処理は市販の漂白剤などで安易に行われる危険性がある。

細菌は一種類の抗生物質に耐性を持つと、それを他の種類の細菌に移転したり、多種類の抗生物質に対する耐性を獲得することが知られている。大腸菌O157Hは通常の大腸菌がコレラ菌から毒素遺伝子をもらった可能性が高いと言われている。また、この大腸菌の培養には抗生物質アンピシリンを使う必要があり、全国の学校で行われるならば現在は病院や畜産現場などで問題になっている抗生物質の乱用をさらに広げる結果ともなろう。こうした点から、この実験は公衆衛生の確保の点からも不安がある。

 

問題点2: 遺伝子の自己増殖の危険

 実験後の大腸菌などが環境中に生きたまま廃棄されれば、この遺伝子は大腸菌と共に自己増殖を続ける。それは、このベクターに、GFP遺伝子と抗生物質耐性遺伝子の他に、大腸菌由来のOri(Replication Origin:複製開始点)と呼ばれる自己複製機能のためのDNA配列が含まれるからである。実験に使われるベクターは、この機能を利用してあらかじめ大腸菌内で多量に増やされ単離されたものである。従って、実験廃棄物中の生きた大腸菌は環境中で増え、その中でGFP遺伝子と抗生物質耐性遺伝子もさらに増えることになる。クロンテック社などのキットに含まれるベクターは、DNAの配列を遺伝子操作で変え、ベクター増殖率を大幅に改善したものである(1個の大腸菌あたりベクターが500個)。

 

問題点3: 自然生態系に対する影響

 クラゲの発光遺伝子(GFP)を発現させるために、遺伝子のスイッチにあたるプロモーター配列と遺伝子読み取りの終わりを告げる終止信号が必要である。これらの機能のために他の生物の遺伝子断片が使われている。GFP遺伝子を大腸菌内で発現させるためには、大腸菌のアラビノース・オペロンと呼ばれる遺伝子のプロモーターが使われている。また動植物細胞への組換え実験には、カリフラワーの病原ウイルス、カリフラワー・モザイク・ウイルスの遺伝子のプロモーター(CaMV35S)配列が使われる。なを、このCaMV35S配列は動植物だけでなく大腸菌など細菌内でも遺伝子を発現させることが出来る。その上、このベクターに使われている発光クラゲのGFP遺伝子は、発光クラゲ本来のものではなく、クロンテック社などが、発光効率を強化するために、遺伝子操作の方法で自然界の発光クラゲDNAの塩基配列を大幅に変えた人工遺伝子である。

こうしたさまざまな異種生物や人工的な遺伝子を組み合わせた「遺伝子カセット」がこの実験では使われる。これが大腸菌や他の培養細胞とともに環境中に放出された場合、生態系にどのような影響をもたらすかは、全く分かっていない。従ってこの実験は遺伝子カセットの環境中への流出を避けるために、完全な閉鎖環境で行われ、また実験後の滅菌処理を怠ってはならない。

 

問題点4: 誤解を与える「遺伝子組換え」実験

この実験は、簡単な遺伝子組換え実験として喧伝されているが、科学的には遺伝子組換え実験ではなく、「形質転換」実験である。即ち、クラゲの発光遺伝子を含むベクターDNAが大腸菌の細胞質に入り、大腸菌のタンパク質合成系の力をかりて発光タンパク質を作っているに過ぎず、大腸菌の遺伝子DNAの中に発光クラゲの遺伝子が挿入され「遺伝子組換え体」が出来たわけではない。従って、これを遺伝子組換え実験と呼ぶのは誤りである。こうした基本的な問題を無視し、生徒の興味を引くために安易に「遺伝子組換え実験」として教えるならば、生徒達に間違った知識を与え、遺伝子に対する誤った理解をもたらすことになる。

 

問題点5: 学習効果と生徒達に与える影響

 この実験は確かに簡単で、結果を得るだけならば小学校の教室でも行うことが出来る。光る大腸菌が自分の手で作り出せた、という実感は生徒達に興味をわかせるだろう。しかし、それはあくまでも興味本位の域を出ず、それ以上に遺伝子への認識や理解を深めることは出来ない。一見簡単な実験でも基礎的な知識や理解がなければただの遊びになってしまう。

それ以上に、こうした実験の容易さは生徒達に遺伝子組換えが簡単に出来ること、人為的に種の壁を越えたり、生命を人為的に操作することが簡単だという間違った知識を与え、生命の尊厳に対する誤った理解をもたらす危険がある。テレビを始めさまざまなメデイアを通じて、荒唐無稽な生命体を作り出し、もてあそぶことが当たり前のような雰囲気の社会のなかで、生徒達は実験を通じて自分があたかも遺伝子を支配できるかのような錯覚を持っても不思議ではない。こうした倫理的側面からも、この実験は小・中学校や高校で安易に行うべきでない。  

 

付録:

(1)使われる遺伝子

発光クラゲ(オワンクラゲ)の発光タンパク質(緑色蛍光タンパク質GFP:Green Fluorescent Protein)を作る遺伝子が使われる。このタンパク質は内部に紫外線を当てるとそれ自体が発光する構造(クロモフォア)を持っており、ホタルの発光のように基質(ルシフェリン)やエネルギー物質(ATP)などが必要ないことから、細胞内でGFPタンパク質が合成されさえすれば、光を当てるだけで発光する。このように、実験が極めて簡単なことから、これまで基礎実験において、目的とする遺伝子をGFP遺伝子と連結して遺伝子組換えや形質転換を行い、形質転換細胞を光だけで選択出来る便利な「選択マーカー」「レポーター遺伝子」として利用されてきた。この遺伝子が細胞質に入り、あるいは宿主遺伝子に挿入されて発現すれば大腸菌であろうと動植物であろうと、紫外線を当てれば緑色に発光する。このように基礎実験において、特定遺伝子の機能解析などに便利なツールとして利用されてきた。応用として、これまでに緑色に光る大豆、緑色に光るマウス、猿などが作られている。この遺伝子を大腸菌に組み込むのは極めて簡単であるため、アメリカでは中学校や高校で広く使われているようだ。

 

(2)遺伝子は単独では機能しない

GFP遺伝子を単独で大腸菌や動植物細胞に入れても機能しない。遺伝子からメッセンジャーRNA(mRNA)を作るためのスイッチに当たる「プロモーター配列:以後P配列と呼ぶ」と、mRNA合成の終わりを告げる「ターミネーター配列:以後T配列と呼ぶ」が必要である。P配列次第で組み込まれた細胞で効率よくGFPタンパク質が作られ、強く発光するかどうかが決まる。大腸菌を形質転換させるには大腸菌のaraCと呼ばれる遺伝子由来のP配列が使われる。動植物の細胞に組み込むには、カリフラワーの病原ウイルス由来のカリフラワー・モザイク・ウイルス35Sプロモーター配列(CaMV35S)が使われる。CaMV35Sは大腸菌でも働く。T配列には、バクテリアに組み込むにはTAAやTGAといった単純な塩基配列で良いが、動植物に組み込むには、植物のクラウンゴール病(植物の腫瘍)を作る細菌の中のNOS3‘配列というアデニン塩基(A)がたくさん連なった「ポリA配列」が必要である。このように、GFPをクラゲ以外の細胞の中で機能させるには、異種生物の遺伝子の断片を連結した「遺伝子カセット」を使わなければならない。

 

(3)GFP遺伝子カセットの遺伝子構成

角丸四角形吹き出し: UGA,UAA又はNOS3‘配列角丸四角形吹き出し: 大腸菌AraC又はCaMV35Sプロモーター     

 

テキスト ボックス: 複製開始点配列
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                

                              (2003年7月13日)