陳 述 書

山田 稔


1.略 歴
 1933年、新潟県中頚城郡和田村丸山新田(現、上越市丸山新田)に専業農家の長男として生まれました。新制中学校を卒業と同時に父親が45歳で他界。以後、母親と二人の姉と共に、農耕馬を相手に当時250アールで米の生産に汗を流してきました。
 それから58年間、米の増産と生産者米価の引き上げ運動のかたわら、土地改良区役員4期、農業委員会農政部会長3期、農協農政対策協議会長、農協米生産研究会長等々歴任。また、農民運動にも関わり、現在、日本農民組合中央常任委員、同新潟県連合会副委員長、同上越委員長の任にあります。
今回、貴裁判所に、北陸研究センターの遺伝子組換えイネの野外実験の差止を求めて仮処分の申立てを行ないました債権者のひとりであります。
2.隔離圃場周辺のイネの発育状況について

 債務者は、GMイネの交雑防止措置のひとつとして、GMイネの田植えを遅らせ、一般水田と開花時期が時期的にずれるようにしていると、次のように主張しています。
「A さらに、本件近隣農場のイネの予想開花時期は8月1日から15日であり、GMイネの予想開花時期は8月20日から9月3日であるから、時期的な点をみても、交雑の余地ないしおそれは一切存在しない。」(答弁書10頁)
 「本実験でも周辺水稲と出穂期が2週間程度以上の時間的隔離ができるよう計画している。この点から、念のため、北陸研究センターの隔離圃場を中心とする半径900mの一般水田の状況をつぶさに観察したところ、本実験と出穂期が重なる水稲がないことを確認している。」(債務者準備書面(1)4頁)

 しかし、7月14日の裁判の日、電話会議に参加した私どもの代理人の先生が、
「北陸研究センターの周りの一般水田の農家に、田植えの時期が何時だったか、確認を取っているのですか」
という質問に対して、きちんと答えられず、「追って調査して回答する」ということだったそうです。

これに対し、私どもは、北陸研究センター周辺の一般水田のイネの発育状況がどのようなのか、大変気になりました。
 そこで、NPO「魚沼ゆうき」(魚沼郡川西町山野田270−1)の代表をしておられる山岸勝氏を通して、北陸研究センター周辺(800〜900m圏内)の有機農業の仲間の方に電話確認いたしましたところ、今年は特に大雪のため田植えが普段より1週間から10日ほど遅れ、それによりイネの出穂も普段より遅れそうだとのことでした。

 もともと、イネの穂の出る時期はイネの成長度により決まります。そして、これまでも何回も確認していることですが、今年のように天候不順な年には今後の天候によって平年比10日或いは2週間位の「ズレ」は平気で起こります。

 また、債務者が言う「出穂期」というのは、田んぼでだいたい7〜8割の穂が出たときのことを言いまして、もともと大雑把なものです。当然、残りの2〜3割のイネは、それ以後に穂が出ることになります。
 さらに、さきほどの山岸勝氏によれば、有機栽培の田では、特に穂揃いが悪く出穂はじめから最後の穂が出るまで長期間を要するそうですが、一般の田においても“遅れ穂”といって同じ田の同じ株にありながら極端にぶんけつ(根の際の茎が枝わかれすること)の遅い穂が何本か発生するのは普通のことであり、その穂の開花時期が長期間に及ぶのは現場の農家のよく知るところであります。
 その意味で、債務者の前述の「出穂時期を重ねないように」という主張を聞いたとき、現場の農家としては非常に違和感を感じました。

本来であれば、債務者は、あらかじめ、北陸研究センター周辺の農家を回って、
(1).周辺農家の作付け品種の確認
(2).周辺農家の田植え時期の確認
(3).周辺農家の栽培様式の把握
こうしたことを事前に綿密に確かめた上で、今述べました点を十分考慮して「出穂時期」の推定を行なうべきだと思いますが、しかし、債務者がそうしたことをやっているとは思えません。

 そこで、私たちは、イネの成長度を測るひとつの目安として、イネの背丈を測定してみることにし、7月25日(月)の午後1時頃から、北陸研究センターの隔離圃場の東側(別紙1の地図の四ヶ所・西市野口)の一般水田のイネを調べて回りましたので、その結果を報告します。

まず、イネの写真撮影にあたっては、当日の新潟日報の新聞を持参しました(別紙2参照)。
 最初、平均的な発育をしていると思われるイネの背丈を撮影しました。私が巻尺を持ち、測定し、同行した新潟県総合生活協同組合の上越センター・センター長の小山茂さんが撮影してくれました(以下の撮影は全て同様です)。それが別紙3の写真です。場所は、別紙1の地図の「四ヶ所」の所という文字のすぐ東側です(●に「並み」と示した地点です)。別紙3の写真の巻尺部分を拡大した左の画像には、私の右手のすぐ下に、「100」という数字が何とか見えると思いますが、ここからも明らかのように、平均的な発育をしているイネの背丈は、大体90cmほどでした。
 では、みんなそうかというと、中には、ずっと背丈が低いと思われるイネも容易に発見できました。それが、別紙4と別紙5の写真に写っているイネです。
 別紙4の場所は、別紙1の地図の「四ヶ所」の所という文字のすぐ下です(●に「1」と示した地点です)。北陸研究センターの今回の野外実験を行なっている隔離圃場の東に、上新バイパスの下のトンネルのようになった通路(カルバート・ボックスと言います)を通って、すぐのところです。そのことは、別紙4の上の写真(少し離れて撮影したもの)の上部に、このカルバート・ボックスが写っていることからも明らかでしょう。ここは、今回の隔離圃場から300mも離れていない場所です。
 この場所のイネは、背丈が約70cmほどしかありませんでした。そのことは、別紙4の中央の写真の巻尺の10cm単位の赤い目盛りの数を下から数えていけば、イネの背丈が大体、7つめの目盛りのところであることがお分かりかと思います。

 また、別紙5のイネですが、場所は別紙4の場所から南に400m行ったところで、さきほどの上新バイパスの下のカルバート・ボックスよりもう1つ南のカルバート・ボックスから少し行ったところです(別紙1の地図で、●に「2」と示した地点です)。そのことは、別紙5の右の写真の上部に、やはりカルバート・ボックスが写っていることからも明らかでしょう。
 ここのイネも同じく、別紙4と同じく、背丈が約70cmほどしかありませんでした。そのことは、別紙5の真中の写真の巻尺部分を拡大した左の画像に「70」という赤い目盛りが見えることから明らかだと思います。

 以上の通り、隔離圃場の東側(別紙1の地図の四ヶ所・西市野口)の一般水田のイネの背丈は、場所によってばらつきがあり、背丈が平均的なものより20cmも低いものも存在しました。これが田植えの時期が平均的なイネより遅かったせいなのか、それともその後の発育の環境が平均的なイネより悪かったせいなのか分かりませんが、少なくともこのような背丈の低いイネは、一般に、開花時期も、平均的なイネより遅れることになるでしょう。

 従いまして、債務者は、「本件近隣農場のイネの予想開花時期は8月1日から15日であり」と予想しますが、これはあくまでも一般的な予想にすぎません。
 前述しました通り、
(1)今年は特に大雪のため田植えが普段より1週間から10日ほど遅れ、それによりイネの出穂も普段より遅れそうであり、
(2)今年のように天候不順な年には今後の天候によって平年比10日或いは2週間位の「ズレ」は平気で起こり、
(3)「出穂期」というのは、田んぼでだいたい7〜8割の穂が出たときのことを言い、残りの2〜3割のイネの出穂はそれ以後になること、
(4)
有機栽培の田では、特に穂揃いが悪く出穂はじめから最後の穂が出るまで長期間を要し、一般の田でも“遅れ穂”の場合には、同様の現象が起きること、
(5)実際にも、北陸研究センター周辺の田んぼのイネには、背丈に20cmほどもばらつきがあり、

こうしたことから、一般水田のイネとたった5日しかズレがない「GMイネの予想開花時期は8月20日から9月3日である」(答弁書10頁)というGMイネの開花時期が北陸研究センター周辺のイネの開花時期と重なる可能性があることは容易に想像できます。

 今回の私たちの調査からも、債務者が、GMイネの交雑防止措置についても、どれくらい真剣に取り組んでおられるのか、率直なところ甚だ疑問に感じないではおれないというのが私のいつわらざる感想です。

以 上