ゲノム編集

意見:病気の無い赤ちゃんを産むためにゲノム編集をやるべきか?
CRISPR(ゲノム編集酵素)の発見者の一人の科学者が考察する   Ideas.Ted.Com より

原題:Should we use gene editing to produce disease-free babies? A scientist who helped discover CRISPR weighs in.(Aug 22.2017 / Jennifer A. Doudna + Samuel H. Sternberg)
訳:河田昌東(かわたまさはる)
遺伝子組換え情報室

最近、研究者は危険な突然変異を修正するためにヒト胚を編集出来る事を報告した。 この技術は現実(使われる可能性)に近づいているので、私たちは自らの立場をはっきりさせる必要がある、と生化学者ジェニファー・ドウドナは言う。
(遺伝病の治療に)他の選択肢がなく安全性が確保出来る場合、親が病気を持たない子ども生むのを助ける事が出来るならCRISPRを使うべきだろうか? 私が何度も何度も何度も自らに問うた事である。今月発表された Nature の研究のおかげでタイムリーな問いとなった。カリフォルニア、中国、韓国の共同研究者と協力してオレゴン保健科学大学の科学者が、よくある有害な遺伝病を持つヒト胚を矯正出来た、という論文である。

米国の大人の50%が、(卵子や精子等)生殖細胞系列のゲノム編集による病気のリスク軽減という考え方に反対しているのに対し、48%が好意的であると回答した2016年のピュー・リサーチの世論調査を見れば、アメリカ人はこの問いに答えるのが難しい、というのは驚くに当たらない。(赤ちゃんのゲノムを重要でない機能向上のために編集するという考えに対しては、私たちはかなり一致した意見を持つように思う;回答者の15%のみが賛成だった)。


宗教は、人々がこのような困難な問題に直面した際に使う明確な道徳的指針の1つだが、その視点は今後大きく変わる可能性がある。ヒト胚を用いた実験では、胚を受胎からのものとみなすため、一部のキリスト教徒のコミュニティは反対している。何故なら、ユダヤ人やイスラム教徒の伝統は、体外で作られた胚を人とみなさないため、これを受け入れやすい傾向があるからだ。また、ある種の宗教は生殖細胞系列への介入が人類による神の役割の強奪と見なしているが、目的が本質的に良好である限り自然界に対する人間の関与を歓迎する人もいる。

人類は自然発生のDNAの突然変異によってのみ何千年もの間再生されてきた。その過程を私たち人間が支配し始める事は殆ど邪悪なことに見える、というのだ。

さらに別の道徳的な指針は純粋に人間の内面的なものである。即ち、将来の子どもの遺伝子を永久に編集する事になるために CRISPR を使用するというアイデアへの本能的、感情的な反発である。この考えは多くの人々にとっては不自然で間違っていると私は思う。私が最初にこの問題について考え始めた時、私もそう考える人々の一人だった。人間は何千年もの間、自然発生するDNAの突然変異によってのみ繁殖してきた。この考えが CRISPR に対し植物学者がトウモロコシの遺伝子組換えをするのと同じようなものだと主張しているのは明らかである。国立衛生研究所のディレクター、フランシス・コリンズ氏は、「進化はヒトゲノムの最適化に向けて38億5000万年をかけて進んできた。人間のゲノム職人の小さな集団が、何らかの予想外の結果を招くことなく、良い結果を出せると私たちは本当に思いますか?」と言っている。

人間が自身の進化をコントロールするという考え方に対し不安だ、という一般的な感情は私も共有しているが、一方で、私は自然が私たちの遺伝子構成を少しずつ進化させている、とまでは言えないと思う。明らかに、近代的な食品、コンピューター、高速輸送が私たちの生活様式を完全に変えた現在の時代に、進化はヒトゲノムを適合出来なかった。この瞬間にも進化している過程の中で地球を見渡すと、進化を支える突然変異の混乱(カオス)の恩恵を受けていない生物が散在していることが分かる。

自然界は技術者ではないが、それはかなり厄介なものだ。自然界の不注意は遺伝的突然変異を継承しており、有害と判明した遺伝的突然変異(遺伝病)を引き受けた人々にとってそれは残酷かもしれない。

同様に、生殖細胞系列のゲノム編集が不自然だという議論は、もはや私にとっては大きな意味を持たない。人間関係、とりわけ医学の世界に関しては、自然と不自然の境界線は曖昧である。私たちは不自然にサンゴ礁を陸上に呼びこむつもりはないが、東京のようなメガロポリスにはこの言葉(不自然)を使うかもしれない。これは人間が作り出したもので他の生物には作れないからだろうか? 私の考えでは自然と不自然という区別は誤った二分法であり、人間の苦しみを和らげる事が出来ないならば、自然もまた危険なものなのだ。

ある女性が私に言った。「生殖細胞系列のゲノム編集を使って、私の姉妹が苦しんだような突然変異を人類から取り除くことができるなら、私は心からそれを望みます!」

私は、自分自身や家族が遺伝病を経験した人々と会う機会が数多くあり、彼らの物語は深い所で激しく動いている。私がCRISPR技術について話し合ったセッションの後に、ある女性が私と個人的な話をしたいと私を会議室の脇に引っ張り出した。彼女の姉は、肉体的および精神的健康に影響を与えた、滅多にない壊滅的な遺伝病に苦しみ、家族全員に甚大な苦難をもたらした。「生殖細胞系列のゲノム編集を利用してこの病気を人類から失くす事が出来れば、私の姉のように誰も苦しまなくて済むのなら、私は心の底からでそれを支持します」と涙ながらに彼女は言った。

別の機会に、ある男性が私のところに来て、父と祖父がハンチントン病で亡くなったと話し、3人の姉妹がその特性を受け継いでいる、と説明した。彼はこの恐ろしい病気の治癒、又はよりよい予防のための研究を進めるためなら出来ることを何でもしたいと考えていた。彼がもし遺伝病患者本人だったら私は彼に尋ねるつもりは無かった。彼の遺伝子が突然変異を持っていたら、彼はもっと以前に運動能力と会話の能力を奪われ、早期の死を迎えたはずである。愛する人にそのような危険を見るのは誰もが恐れるものだ。受胎前または受胎直後のいずれにせよ、医師がいつでも突然変異を安全かつ効果的に矯正するのに役立つツールがあれば、私たちがそれを使用することは正当化されると思う。

裕福な家庭は生殖細胞系列のゲノム編集で他の者よりも恩恵を受ける、という考えは、少なくとも当初思ったほどではない。

生殖細胞系列のゲノム編集の本質的な正当性や間違いは別にして、倫理的問題は私にとって少しも変わっていない。 CRISPR は社会にどのような影響を及ぼすか? 私たちが胚のゲノム編集について、どこで線を引くかが難しいのと同じように、私たちは胚を公平に扱うには如何したら良いか見出すことは難しいのだ。つまり特定のグループだけでなく、人間全般の健康を改善する方法にどう線引きするかである。裕福な家庭は生殖細胞系列のゲノム編集で他の人より恩恵を受ける、という考えは、少なくとも当初はそれほど誇張するほどのものではない。最近の遺伝子治療は約100万ドルの値札で市場に出回っており、最初のゲノム編集療法もそれと変わらない可能性が高い。

もちろん、新技術が高価だという理由で単純に排除されるべきではない。パーソナルコンピュータ、携帯電話、ダイレクトコンシューマーDNAシーケンシング(訳注:消費者のニーズに応えてDNAの構造分析する事)だけでなく、新技術のコストが改善され、時間が経つにつれてどのように低下するのかを確認する必要はあるが、結果としては時間が経てば新技術に対するアクセスは増加する。さらに、他の医療と同様に、生殖細胞系列のゲノム編集がいつか健康保険によって助成される可能性もある。

日常的に何万ドルもの費用がかかっている体外受精や着床前診断など、既存の生殖医療が保険でまれにしかカバーされないため、ゲノム編集に対して確かに米国では(一般の人が)手が届かない技術のように思えるかもしれない。しかし、フランス、イスラエル、スウェーデン、その他の国々のように、健康計画が国に支援され、生殖をカバー出来る国々では、単純に経済的理由で政府が必要とする患者にゲノム編集を利用出来るよう支援する可能性がある。結局のところ、遺伝子疾患を有する一人の患者に、生涯にわたる治療を提供することはゲノム編集を用いた胚への介入よりもはるかに高くつく可能性がある。

しかし、すべての階級の人々が生殖細胞系列のゲノム編集の恩恵を受けることが出来る包括的な保健医療システムを備えている国でさえ、遺伝的不平等を引き起こし、時間の経過とともに広がる新しい「遺伝子ギャップ」を作り出すリスクがあるのも事実だ。 裕福な人は手続きをより頻繁に行うことができ、胚に有益な遺伝的改変がその人の子孫に伝達されるので、社会的階級と遺伝学の間の関係は、世代間ではなくアクセス回数による格差が生じる可能性がある。

この事が社会経済的構造に及ぼす影響を考えてみて欲しい。もし貴方がこの世界が不平等だと思うなら、それが社会経済的および遺伝的な関係に沿っても階層化されていると想像して欲しい。特権的な遺伝子群のおかげで、より多くのお金を持つ人々が健康で長生きする未来を想像してみて欲しい。これはSFの世界だが、生殖細胞系列のゲノム編集が日常的になると、このフィクションは現実になる可能性がある。

難聴や肥満のような(大きな疾患でない)ものを「修正する」ためにゲノム編集を使うことは、誰もが同じであるべきだ、という包括的な社会でない社会を作り出す可能性がある。

生殖細胞系列のゲノム編集はまた、異なる種類の不正を作り出すかもしれない。障害者権利擁護派が指摘しているように、難聴や肥満のようなものを「修正」するためにゲノム編集を使えば、私たちの自然の違いを祝福する代わりに、より不平等な社会を作り出すことになるかもしれない。結局のところ、ヒトゲノムは単なるバグのあるソフトウェアではない。私たちの種をユニークにし、私たちの社会を強くしているのはその多様性である。いくつかの遺伝病をもたらす遺伝子突然変異は、生化学的レベルでの欠陥または異常なタンパク質を産生するが、病気に罹患している患者自身は確かに欠陥または異常な人ではなく、幸せな生活を送りゲノム修復の必要性を感じないだろうからだ。

ゲノム編集が、少数の遺伝病の人々に対し既存の偏見をより悪化させる、というこの恐怖感は、多くのライターが生殖系列のゲノム編集と優生学の関係について書いたものの根底にある。この概念は、ナチスドイツが造ったとして今日最もよく知られている。そこでは、何十万人もの人々の強制滅菌と数百万人のユダヤ人、同性愛者、精神病者には人生の価値がないと考えられたのだった。

ナチスの思想を実践した優生学者は完全に非難されたが、私はゲノム編集で同様のことが起こることは非常に少ないと考えている。政府は単に、両親に自分の子どもの遺伝子の編集を強制してはならないのだ。(実際、これは色々な所で今でも違法である。)市民の出生の自由を支配する強権的な政治体制でない限り、生殖細胞系列のゲノム編集は、個人の親が自分の子どものために私的に決めるものであり、多くの官僚たちの為に決めるものではない。

生殖細胞系列のゲノム編集の倫理に関する私の見解は今も進化し続けているが、その度に私は自分自身を何度も何度も原点に引き戻している。とりわけ、私たちは自分の遺伝的運命を選ぶ人々の自由を尊重し、健康で幸せな生活が出来るように努めなければならない。人々にこの自由が与えられれば、個人的に正しいと思われること、それが何であろうとも、それを行うであろう。ハンチントン病の犠牲者であるチャールズ・サビン(Charles Sabine)は、「これらの病気の一つに実際に直面しなければならなくなった人は、(その治療について)何らかの道徳的な問題があると遠慮する必要は全くない」と言っている。私たちの誰がそれを否定出来るだろうか?


新刊「創造の亀裂:遺伝子編集と進化を制御する不可欠な力」ジェニファー・A.・ドゥーナとサミュエル・H.・スンベルグ著から抜粋。 Copyrightc2017 Jennifer A. DoudnaとSamuel H. Sternberg。

Houghton Mifflin Harcourtの許可を得て転載。 全著作権所有。
作者について
Jennifer A. Doudnaは、カリフォルニア大学バークレー校の化学および分子生物学部門の教授。ハワードヒューズ医学研究所及び ローレンス・バークレー国立研究所の分子生物学および統合バイオイメージング部門の研究者。
Samuel H. Sternbergは、生化学者、CRISPR技術に関する数多くの著名な科学刊行物の著者。 彼はスカーリング賞とハロルド M.ヴァイントラウプ大学院生賞も受賞。