ゲノム編集−技術上の問題点

河田昌東(かわたまさはる)
遺伝子組換え情報室
2018/09/25
 「ゲノム」は特定の生物の遺伝子全体をさす用語である。分子生物学が発展し遺伝子を人間が操作できるようになったのは1970年代初めで、これに危機感を持った科学者たちが1975年にアメリカ・カリフォルニア州のアシロマに集まり議論を重ねて作ったのが「アシロマ会議」の声明文で、異なる生物の遺伝子を組み込んだ生物が環境や社会に与える影響を最小限にするための様々なレベルの自主規制案だった。しかし、その後の遺伝子組換え技術の実用化の進展により、この自主規制案は事実上無視され、広く農業分野や医療分野で遺伝子組換え技術は産業となって社会に定着した。しかし問題が解決されたわけではなく、遺伝子組換え作物などによる被害を食い止めようと2000年に国連で「カルタヘナ議定書」が採択され現在に至る。近年になりバイオ技術は更に発展し、DNAの構造解析や合成が容易になり「ゲノム編集」が登場した。ゲノム編集は植物、動物を問わず特定の標的遺伝子を効率よく破壊(ノックダウン)したり、別の遺伝子を挿入(ノックイン)したり出来る。効率の悪い遺伝子組換えに代わる新たな技術として、農業や医療分野で広く使われる第3次産革命につながると期待されている。しかし、他方ではヒトの生殖細胞のゲノム編集や生態系に影響を及ぼすゲノム編集(遺伝子ドライブ)も可能になり、生命倫理の観点から見直す必要も指摘されている。
1)ゲノム編集はどのようにして行うか

当初、ゲノム編集は基本的に標的遺伝子の塩基配列と結合するようにアミノ酸配列を改造したドメインと呼ばれる蛋白質と、DNAの2本鎖切断を行うヌクレアーゼ(DNA分解酵素)をドッキングさせた人工DNA切断酵素から始まった。ZFN(ジンクフィンガー・ヌクレアーゼ:1996年)とTALEN(ターレン・ヌクレアーゼ:2010年)である。しかし2012年に目標遺伝子の塩基配列にDNA分解酵素を導くガイドRNAとDNA分解酵素からなるCRISPR・Cas9(クリスパー・キャスナイン)が開発され、その特異性と使い易さから現在はCas9が多く使われている。現在、ゲノム編集の技術は激しい勢いで進化しつつある。これまではDNA分解酵素やガイドRNAの遺伝子を、ウイルスDNA(RNA)やプラスミドと呼ばれる自己増殖性のDNAやRNA(総称ベクターと呼ばれる)に組み込んで細胞に感染増殖させ、細胞内でDNA分解酵素とドメインやガイドRNAを合成させ、あるいはそれから分離精製したガイドRNAやDNA分解酵素を細胞に注入(エレクトロポレーション)したり、受精卵の核と入れ換えたりして標的遺伝子を編集した。しかし、この技術もすでに古くなりつつある(後述)。これまでのゲノム編集にはどのような問題があるのか。
2)ゲノム編集の技術的問題点

2-1) オフターゲット
 ゲノム編集に使われるいずれのDNA分解酵素もそれが認識する標的DNAの塩基配列が20〜30個であるため、膨大なゲノムの中には類似の塩基配列を持つものがあり、標的以外の遺伝子をも変化させてしまう場合がある。これをオフターゲット効果という。オフターゲットが起れば、意図しない遺伝子の破壊につながり大きな問題となる。上記のいずれの酵素も程度の差はあれオフターゲットが生ずる場合のあることが報告されている。CRISPR・Cas9の場合は標的DNAの塩基配列が20個の中、2,3個の塩基が異なってもガイドRNAが結合し標的と間違えてしまう例が挙げられている。また、これらのDNA分解酵素が切断した標的遺伝子は、細胞が持つDNA修復酵素による修復によって再結合されるため、修復ミスによって新たな突然変異が生ずる可能性もある。
 オフターゲットのもう一つの原因は、標的遺伝子が一つであるのに細胞に挿入されるDNA分解酵素やガイドRNAが大量(数十倍〜数百倍)な事に起因する。これは編集効率を上げるためであるが、それによってDNA分解酵素やガイドRNAが標的遺伝子の塩基配列が多少違っても結合し、ゲノム編集を起こしてしまうのである。

2-2)  人間の受精卵のゲノム編集を世界で初めて行った、として大きな批判と論議を呼んでいる中国のP. Liangらの論文(2015年)では、標的遺伝子がβ-グロビン遺伝子(HBB)だったが編集効率も悪く、構造の似ている
δ-グロビン遺伝子(HBD)はじめその他の非標的遺伝子にもオフターゲットがあり、受精卵の卵割のためゲノム編集出来た細胞と出来なかった細胞が混在するモザイク(後述)も見つかった、としてこの技術によるゲノム編集は時期尚早である、と結論している。

2-3) 癌の危険性
 Cas9によるゲノム編集は効率の悪さが指摘されてきたが、その原因は癌抑制遺伝子のp53であることが分かった。p53は古くから癌抑制遺伝子として知られている。Cas9によってゲノム編集出来た細胞はp53遺伝子が壊れている可能性があり、ゲノム編集された細胞は癌化しやすいのではないか、という指摘がある。

2-3)Cas 9蛋白質に対する自己免疫反応の恐れ
 CRISPR/ Cas9は多くの場合、黄色ブドウ状球菌やA型溶血性連鎖球菌から採られている。最近、これらの細菌のCas9蛋白質に対し人間の細胞が抗体を持つ場合があり、Cas 9注入によって自己免疫反応がおこる危険性が指摘された。この2種類の細菌は人間に広く感染しているからだという。この論文によれば86%の人は黄色ブドウ状球菌のCas 9に対する抗体を持っており、73%はÅ型溶血性連鎖球菌のCas9に対する抗体を持っていた。この場合、Cas 9蛋白質が抗体で無力化されたり、逆にCas 9に対する自己免疫反応でアレルギーや免疫疾患をもたらす危険性が指摘されている。

2-4) ゲノムのモザイク編集
 遺伝病の治療を目的として受精卵にゲノム編集を行った場合、途中で卵割が起こり、プラスミド(ベクター)が入った細胞と入らない細胞が出来て、成長後の体内でゲノム編集が出来た細胞と出来ない細胞が共存する「モザイク」が生ずる恐れがある。この危険性は2-1)で述べた中国のP. Liangらの論文(2015年)でも指摘されている。植物や動物の培養細胞のゲノム編集では、ゲノム編集出来た細胞と出来なかった細胞を容易に見分けるために、次に述べる発光クラゲの遺伝子や抗生物質耐性遺伝子をCas 9と同時に感染させることが多い。

2-5) 不必要な遺伝子の混入
 ゲノム編集に使われるプラスミド(ベクター)には、ガイドRNAやCas 9のDNAの他に、これらの遺伝子の発現に必要なプロモーター(遺伝子発現のスイッチ)として、カリフラワー・モザイク・ウイルスのプロモーター(Ca MV35)や、ゲノム編集が出来た細胞と出来なかった細胞を仕分けするために、ペニシリン耐性やストレプトマイシン耐性などの抗生物質耐性遺伝子が導入されたり、クラゲの発光遺伝子を連結されたりする場合がある。培養細胞のゲノム編集の際には特に多い。この場合、成長したトマト等の食物や動物に本来存在しなかった異種生物の遺伝子が入り込むことになり、従来の遺伝子組換えと変わらないリスクが生ずる。食品の場合、食べた際にこれらのDNAが腸内細菌に取り込まれて腸内細菌が抗生物質耐性になる(遺伝子の水平伝達という)危険性がある。実際、遺伝子組換えの餌を与えられた家畜の肉には高い頻度で抗生物質耐性菌が検出されることが分かっている。

2-6) 遺伝子の多機能性とゲノム編集
真核細胞(動植物)は一個の遺伝子が一個の蛋白質を作るわけではない。ゲノムはエキソンと呼ばれるDNA配列とイントロンと呼ばれる塩基配列が複数個あり、一個の遺伝子の中に交互に並んでいる。蛋白質合成の際にDNAから直接作られるRNAはpre-mRNAと呼ばれ、これをスプライシングという機能で切り取り、必要なエキソン同士をつなぎ合わせて初めて一個の蛋白質に対応するmRNAが出来る。即ち、スプライシングによって一個の遺伝子DNAから複数の蛋白質が造られることが多い。その結果、複数の蛋白質に共通のエキソンのゲノム編集をすれば、複数の蛋白質に影響が及びオフターゲットが起こる。従って、ゲノム編集を行う場合、標的DNAが複数の蛋白質の一部になるエキソンかどうか慎重に見極めなければならない。また、スプライシングで除去されるイントロンには蛋白質合成の調節作用を持つRNAがあるなど、DNAから蛋白質を作る過程は複雑で未だに解明されていない事も多い。一個の遺伝子から一個の蛋白質が出来る、という所謂「セントラル・ドグマ」はバクテリアなど原核生物では当てはまるが、動植物(真核生物)では当てはまらない。
3)ゲノム編集技術の進歩
3-1)
非病原性ウイルスAAVを使ったゲノム編集
ゲノム編集技術は日進月歩の勢いで進化しつつある。その一つがAAVと呼ばれるベクターの利用である。AAVはアデノ・アソシエーテド・ウイルスの略で、日本語ではアデノ随伴ウイルス・ベクターと呼ばれる。AAVは1本鎖DNAウイルスで自身のDNA合成酵素を持たず細胞のDNA合成酵素に依存する。AAVは細胞に感染すると宿主DNAに組み込まれる。AAVは非病原性ウイルスで、現在100種類以上見つかっており、殆どの細胞に内在する。これをゲノム編集に利用するには、このウイルスDNAにガイドRNAのDNAとCRISPR/Cas9のDNAを組み込む。それを人や動物の血管や筋肉など標的器官に注射する。するとAAVは体内を循環し標的細胞に感染してそのDNAに組み込まれ、ガイドRNAとCas 9蛋白質を合成し、その細胞のゲノム編集を行う。
この技術の利点は標的細胞DNAへのアタックが容易で編集効率が高く、注入量が比較的少なくて済むのでオフターゲット効果が低い事である。最近の研究では犬の突然変異病の筋ジストロフィーを、正常型DNAを作るガイドRNAを組み込んだAAV9と、Cas 9DNAを組み込んだAAV9を同時に筋ジスの犬の静脈や筋肉に注射・治療した成功した例があり、また静脈注射でマウスの肝細胞や心筋細胞、骨格筋細胞を効率よくゲノム編集した例がある。この手法は疾患のある病原個体に直接注入出来る利点があり、細胞培養や受精卵・胚へのゲノム編集よりも容易に遺伝子病の治療に使える可能性が高い、と期待されている。

3-2) ナノパーティクルを使ったゲノム編集
 標的遺伝子にCas 9とガイドRNAを届けるためにウイルス等のベクターを使わず、これらの成分を金のナノ粒子にまぶし、それをまとめて生分解性の高分子でくるんで一個の粒子として細胞に打ち込む。これをエレクトロ・ポレーションという。実際に、マウスの筋ジストロフフィー治療に効果があった。ベクター・ウイルスを使わないために副作用が少なく編集効率も良かった、と報告されている。後述のPNA(人工の核酸:ペプチド核酸)を使ったナノパーティクルによるゲノム編集の例もある。

3-3) 塩基編集によるゲノム編集
 これもCas9とガイドRNAを使う点では従来の方法と同じだが、DNA切断機能を失わせたCas 9酵素(deadCas9: dCas9)にデアミナーゼ(塩基のシチジンやアデニンからアミノ基を除去する酵素)を結合させ、塩基C(シチジン)をU(ウリジン)にアデニン(A)をI(イノシン)に変える。その後、細胞内のDNA修復酵素がUをT(チミジン)にIをG(グアニン)に変える。結局、突然変異を起こしたDNAのG-CペアをA-Tペアに、A-TペアをG-Cペアに変えることで本来の塩基対を復活させることが出来る。中国の研究者らは実際に先天性異常のマルファン・シンドローム(結合組織が出来ないため、大動脈瘤など様々な病気が起こる)を持つヒトの受精卵をこの塩基編集技術で突然変異のAをGに変えて正常な細胞に修復した。この技術の大きな特徴はDNAを切断しない事で、ゲノム編集に伴う副反応を抑えることが出来る。

3-4) 人工PNA(ペプチド核酸)を使ったゲノム編集
自然の核酸(DNAとRNA)は骨格にリン酸と糖を持ち、それにA,G,C,Tという4種類の塩基が付いているが、PNAは骨格が蛋白質と同じペプチド結合で、それに4種類の塩基をつけた人工的な合成核酸である。PNAはペプチド鎖のため電荷(DNAの場合リン酸)を持たず、2本鎖DNAのようにマイナス電荷同士の反発力がないために、相対する塩基同士の結合力が強く(A:T,G:C)、DNAやRNAに強く結合する性質がある。その為、特定の塩基配列をもったPNAを細胞内に注入すると標的DNAの片方の鎖を押しのけて、DNAと結合し、3重鎖を形成する。その後、細胞のDNA修復酵素が正しい塩基配列に修復する。即ち、3-3)の塩基編集同様、標的DNAを切断せずにゲノム編集ができる。
4) ゲノム編集の安全審査について
 ゲノム編集の安全審査については未だに確かな規定がない。原因の一つは上に述べたように、ゲノム編集技術が早いスピードで進歩し、安全性の定義に関わる技術が絶えず変化しつつある事である。環境省は専門家会議で議論し、カルタヘナ法に抵触するか否かで安全審査の基準とした。@外来遺伝子を挿入しない「ノックアウト」については特別な安全審査の対象としない、としA外から遺伝子を挿入する「ノックイン」についてはカルタヘナ法に準じて審査が必要、との見解をまとめつつある。しかしこれでは極めて不十分である。既に述べたように、ノックアウトの場合、標的遺伝子以外の遺伝子にもオフターゲット効果で破壊される遺伝子が存在する可能性が高い。勿論、ノックインの場合も同じである。これまでの遺伝子組換え作物の安全審査でとられてきた「実質的同等性」の基準では不十分だったことは明らかである。ゲノム編集の安全審査では「ノックイン」「ノックアウト」に限らず宿主の全ての標的外遺伝子への影響を確認する必要がある。



具体的には:
@ 標的遺伝子の改変が目標通り確かに行われたかどうか。
A 宿主の他の遺伝子の発現に影響がないかどうか
B 食用動植物の場合、目的外の成分の増減がないかどうか
C ゲノム編集に使われたDNA分解酵素などにアレルギー作用がないかどうか
D ゲノム編集した動物や植物が環境中に放出された場合、生物多様性に影響を与えないかどうか
     等を厳しく検証する必要がある。