ブタからヒトへの最初の心臓移植:科学者は何を学ぶことが出来るか?

研究者たちは、これまでゲノム編集したブタの心臓を移植されて1週間生きてきた人が、今後、異種間移植の可能性に関して沢山のデータを提供すると期待している。


訳:河田昌東
Nature News(14 Jan. 2022)
by サラ・リアドン

ゲノム編集した豚の心臓を最初に受け入れた人は、先週メリーランド州ボルチモアで手術を受けた後、順調な容態である。 移植外科医はこの進歩により、より多くの人々に動物の臓器を提供できるようになることを望んでいるが、そこには多くの倫理的および技術的なハードルが残っている。

「この時点に到達するまでには長い道のりがありました。チームがこれを試す準備が出来た時は非常にエキサイティングでした」と、コロンビア大学の外科医兼免疫学者であるメーガン・サイクスは述べた。 「学ぶべき興味深いことが沢山あると思います。」

世界中の医師や科学者は、これまで異種間移植として知られる動物臓器を人に移植するという目標を何十年にもわたって追求してきた。

めったにないチャンス
先週行われた手術は、回復し生存するチャンスがある人間に、ブタの臓器が移植されたのは初めてである。 2021年、ニューヨーク大学ランゴーンヘルスの外科医は、ゲノム編集された豚の同じ系統の腎臓を、脳機能を失い法的には死亡者(脳死者)の2人に移植した。 この時、移植された臓器は拒絶されず、脳死の患者が人工呼吸器で支えられている間は正常に機能していた。この例を除けば、ほとんどの研究はこれまで人間以外の霊長類で行われてきた。 しかし、今回、研究者たちは2022年1月7日の手術が、臨床異種間移植をさらに進め、無数の倫理的および規制上の問題を乗り越えるのに役立つことを望んでいる。
ブタからヒヒへの心臓移植の成功
「今回4人の患者から、40匹のサルからは学べないことを沢山学ぶことが出来ました」とマサチューセッツ総合病院の移植外科医であるデイビット・クーパーは言った。 「私たちは今後、クリニックでこれらの心臓と腎臓が患者にどのように作用するかを確認します」

異種間臓器移植はCRISPR-Cas9ゲノム編集の出現により近年大きな進歩を遂げた。これにより、ヒトの免疫系による攻撃を受けにくいブタの臓器を簡単に作成出来るようになったからである。 メリーランド大学メディカルセンター(UMMC)で行われた最新の移植では、10個の遺伝子をゲノム編集したブタの臓器を使用した。
研究者達は人々に対する豚の心臓の移植の臨床試験を行うために、米国食品医薬品局(FDA)に申請したが却下された。 移植研究の背後にある研究チームを率いるメリーランド大学の外科医ムハンマド・モヒディンによると、この機関(FDA)は豚が医療グレードの施設由来かどうか確認することを懸念しており、研究者にこの心臓をヒトに移植する前に10匹のヒヒに移植して様子を見てからにしてほしいと望んでいた。 しかし57歳の患者デビッド・ベネットは、モヒウディンのチームに豚の心臓を人間に直接移植する絶好の機会を与えた。 患者ベネットはほぼ2か月間心臓のサポートを受けていたが、不整脈のために人工心臓ポンプを付けることが出来なかった。 彼は医師の治療指示に従わなかった経験があったため、人間の臓器移植を受けることも出来なかった。 彼が死に直面した結果、研究者たちはベネットに豚の心臓を与える許可をFDAから得る事が出来た。
手術は成功し、「心臓機能は素晴らしく見えます」とモヒウディンは言った。 彼と彼のチームはベネットの免疫応答と彼の心臓の機能状態を監視している。 彼らは引き続き管理された臨床試験に向けて取り組んで行くが、モヒウディンは適切な患者が来れば、より多くの緊急処置を実施するために同様の申請をする可能性があると述べた。

患者ベネットの手順が成功し、より多くのチームが同様の手術を試みる場合、規制当局と倫理学者は人が豚の臓器に対して適格な理由を定義する必要がある、とオーストラリアのシドニー大学の引退した移植外科医であるジェレミー・チャップマンは言いう。 移植臓器を長時間監するだけでは、非常に実験的でリスクの高い手順を正当化するのに十分ではない、と彼は言う。 これは腎臓などの他の臓器に特に当てはまる。 腎臓移植を待っているほとんどの人は透析を受けるからだ。

チャップマンはこのプロセスを、他の選択肢を持つ人々でテストするには危険すぎる、実験的な抗がん剤使用に例える。 規制当局と倫理学者は、成功の可能性が人間の臓器を移植するリスクを上回るかどうかを決定する必要があると彼は言う。

移植に使用された心臓は人間の免疫系を誘発する遺伝子をノックアウトしたものを含む、いくつかの遺伝子にゲノム編集を施した豚からのものである。提供:メリーランド大学医学部
「クレイジーでエキサイティングな週だった」
今のところ、移植は豚の供給と規制上のハードルによって制限されている。 現在、適切な施設と臨床グレードの豚を所有する会社は、バージニア州ブラックスバーグにあるレヴィヴィコール社で、ユナイテデドセラピウテクス社の子会社である。「今週はクレイジーでエキサイティングな一週間でした」とレヴィヴィコールの最高経営責任者であるデイヴィド・アヤレスは言った。 同社の豚はアラバマ州バーミンガムの近くの施設で飼育されているが、レヴィヴィコールはバージニア州にさらに大きな施設を建設中で、最終的には年間数百の臓器を供給することを望んでいる。

アヤレスはこの20年間様々なブタを設計しており、ゲノム編集で人間や他の霊長類の拒絶をどのように制限出来るかをテストしている。 移植に使用されるブタの心臓を作るために、同社は人間の免疫系による攻撃の原因となる3つのブタの遺伝子をノックアウトし、人体が臓器を受け入れるのを助ける6つの人間の遺伝子を豚遺伝子に追加した。 最終的な変更は心臓が成長ホルモンに反応するのを防ぎ、400キログラムの体重の動物の臓器が人間のサイズのまま存続出来る事を保証することを目的としている。
組み合わせはうまくいったようだが、今後どんな変更が必要かは不明である。 「それぞれの遺伝子の編集を評価するには、もっと多くの科学が必要です」とサイクス氏は言う。サイクス氏はゲノム編集も人に害を及ぼす可能性があるため「その情報が必要」と付け加えている。

モヒディンは、ヒヒへの移植移植一回に約500,000米ドル(訳注;約5500万円)の費用がかかるため、複数の組み合わせをテストするのは非常に費用がかかると述べている。 クーパーらは異種臓器移植の将来には特定の臓器や受容者に合うように改変を調整する事が恐らく必要だろうと言う。 例えばクーパー自身の研究では、ブタの腎臓を受け取るヒヒでは、成長ホルモンの変化が尿の輸送に問題を引き起こすことが分かっている。 しかし彼のチームは、適切なゲノム編集を施したブタを手に入れることが出来れば、すぐに人に腎臓移植を行うことを望んでいると彼は言う。

何が起こっても、他の生物の臓器が臨床で使用できるようになるまでにはしばらく時間がかかるかもしれない。 肝移植の順番待ちリストは短く、豚の臓器を受け取っている人を正当化するのが難しい。 肺移植を必要とする人々は、しばしば順番待ちリストの途中で死亡してしまうが、サイクスは壊れやすいブタの肺は霊長類に移植するのが難しいことが証明されており、しばしば拒絶されると言う。

動物モデルの限界
クーパーとチャップマン等は、ヒヒよりもヒトの移植を研究することが重要だと言う。 種間の違いにより「そのモデルを臨床応用の予測に使うことは出来ません」とチャップマン氏は言う。人間以外の霊長類は人間にはない抗体を持っている傾向があり、ブタの臓器のタンパク質を攻撃するため、人間ではなくヒヒに適した臓器を作るために多くの努力が行われている。更に研究者たちは例えば、豚の心臓がヒトの心臓同様の心拍数をするかどうか、あるいは患者が健康なヒヒと同様に移植臓器に反応するかどうか等、豚の心臓の生理学を研究する必要がある。

United Therapeutics社のように医療グレードの施設を持っている企業はまだ無いが、他のいくつかの企業は別の遺伝子をゲノム編集した固形臓器移植用のブタを設計している。 マサチューセッツ州ケンブリッジのeGenesis社は、すべての豚ゲノムに存在するレトロウイルスが感染できないブタを製造している。 そして、ニュージーランドのオークランドにあるNZeno社は成長ホルモンの変化をなくして、腎臓が人間の大きさのままであるミニブタを繁殖させている。 チャップマン氏は、さらに多くの組織が移植用に豚のゲノム編集をしているが、商業的な理由で企業秘密をまだ公開していないのではないかと疑っている。

Ayares社とUnitedTherapeutics社は、動物が高価である事を認めているものの、各ブタの生産にかかる費用については明言しなかった。 しかし、クーパーはより多くの企業がゲームに参入するにつれてコストが下がり、FDAや他の規制当局がクリーンな施設に対する要件の一部を緩和すると予想している。 ブタの臓器由来の病原体による感染はまだ問題になっていないが、今回心臓移植した患者ベネットと将来行われる異種臓器移植の患者がどうなるかをも見守る必要がある。

2022年1月7日にこの手術を受けた患者は約2か月後の3月8日に死亡した。



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