新型コロナ・パンデミックの生物学的考察 その2
 感染メカニズムとそれに基づく対策
河田昌東(かわたまさはる)
遺伝子組換え情報室
2020/06/15

はじめに
 新型コロナSARS-CoV-2の感染は国内では収まりつつあるかにみえるが、世界的にはなお増加し何時収まるかは予測出来ない。また、国内でも第二波の感染が起こらないかどうかが今後の対策の大きな課題である。一方、ここまで感染が広がっても未だに有効な治療方法がなく、ワクチンや治療用医薬品の開発が急がれているがまだ相当の時間がかかると予想されている。この新型コロナ・ウイルスはインフルエンザ等これまでのウイルス病とは違い、遺伝子の大きさからくる複雑な感染メカニズムのため何が効果的な治療方法なのかが定まらない。本稿では新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2の感染メカニズムを再度検証し、何が有効な対策かを考える。
 ここで特に強調したいのは、現在、感染対策として薬剤やワクチンの開発が世界中で急ピッチに進められている。その大きな手段になっているのが迅速な遺伝子の構造決定(塩基配列)とそれから作られる蛋白質のアミノ酸配列から、当該蛋白質の立体構造が原子レベルで精密に可視化出来るようになった事である。これは結晶化された蛋白質のX線回折に加えて、最近、スーパーコンピューターによる分子の立体構造解明が急速に進んだ事による。その結果、これまでは過去の経験や実験による試行錯誤で作られた抗ウイルス薬剤やワクチンの開発が、今では分子の立体構造と結合エネルギーの計算から、どのような構造が有効か事前に推定出来るようになり、そのスピードが飛躍的に速くなった(1,2,3)。

(1)新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2の感染経路
ウイルスの細胞感染は次のような順番で起こる。
@ウイルスの突起(スパイク蛋白質S)が相手細胞の表面を認識し、細胞表面にS蛋白質が結合できる物質(受容体)があればそこに結合する。
A結合部分で化学反応(酵素反応)を起こし、細胞膜に穴をあけてウイルス粒子が細胞内の液胞と呼ばれる空間に入り込む。
B液胞内でウイルスの殻蛋白質が破れ、ウイルス遺伝子(DNA又はRNA)が細胞質に放出される。
Cウイルス遺伝子が細胞内で増殖し、同時にウイルス遺伝子にコードされている蛋白質(S蛋白質や殻蛋白質など、新型コロナ・ウイルスでは29種類)が合成される。
D増殖した遺伝子と蛋白質でウイルス粒子が再構成される。一個のウイルス感染で新たに数十万個のウイルスが出来る。
E ウイルスの作る酵素が細胞表面に穴をあけてウイルス粒子を外に放出し、また別の細胞に感染する。
感染はこの繰り返しである。この順番を詳しく見ていく。

(2)ウイルスの突起蛋白質(スパイク蛋白質S)と細胞表面の受容体蛋白質の構造
 ウイルスの感染は最初に細胞表面の受容体の認識から始まるので、細胞表面に受容体タンパク質がなければ感染は始まらない。新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2の場合、受容体はヒト細胞の表面にあるACE2(アンジオテンシン変換酵素2)という酵素で多糖類が結合した蛋白質である。ACE2は本来、体細胞では心筋を収縮させ血圧を上昇させたり、組織に炎症を起こすアンジオテンシンIIというペプチド(8個のアミノ酸)を分解して抗炎症作用をする酵素として知られている。また最近、ACE2の遺伝子を壊したノックアウト・マウスの研究からACE2が小腸上皮における必須アミノ酸トリプトファンの吸収に関与し、間接的に腸内細菌の組成にも関わり自然免疫機構を維持しているという研究もある(3)。このようにACE2は通常の生体内では大変複雑かつ重要な働きをしている蛋白質だが、細胞表面に存在するが故に、たまたまSARSや新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2のS蛋白質の標的となったのである。因みにインフルエンザ・ウイルスの標的は細胞表面にあるCaV1.2という別の糖蛋白質が受容体でコロナ・ウイルスとは全く異なる。
 この受容体に最初に結合する新型コロナ・ウイルスのS蛋白質はアミノ酸1273個と多糖類から成る比較的大きな分子である。これが3個結合して一個のスパイク(棘)を形成している。電子顕微鏡で見ると先端が大きく王冠に似た形をしているのでコロナ(王冠)と名付けられた。S蛋白質は更に二つのサブユニットに分けられ、ウイルス粒子から見て外側に位置し、相手細胞の受容体蛋白質ACE2に結合するS1サブユニットとウイルスの殻蛋白質に結合している内側のS2サブユニットに分けられる。

(3)S蛋白質とACE2受容体の結合で起こる反応
 初めにACE2と結合するのはS蛋白質の外側のS1サブユニットである。この反応はウイルス感染の第一歩であり、感染対策にとって最も重要な反応である。少し煩雑だが中国・精華大学のJun Lanらの論文(4)に沿って紹介する。彼らはS蛋白質とACE受容体蛋白質が結合した複合体の立体構造の解析からACE2と結合するS蛋白質側のアミノ酸配列(RBD:Receptor Binding Domain受容体結合領域)を割り出し、詳細な結合反応を提起している。新型コロナ・ウイルスの前駆体と考えられるSARSウイルスのS蛋白質のACE2との結合ドメイン(RBD)のアミノ酸配列は、この部分に突然変異を起こした新型コロナ・ウイルスと若干違い、新型コロナ・ウイルスの方がその前駆体のSARSウイルスのS蛋白質よりもACE2受容体との結合が数倍強くなっている。それがSARSウイルスの感染に比べ新型コロナ・ウイルスの感染が大きく広がった原因の一つと考えられる。
 新型コロナ・ウイルスのS蛋白質が細胞のACE2受容体に結合すると、S蛋白質がS1とS2のサブユニットに分離し、S2サブユニットが細胞表面にある蛋白質分解酵素TMPRSS2(Trans-Membrane Protease Serine 2) でさらに分解・活性化されてウイルス殻蛋白質と細胞膜との融合が起こり、ウイルスが細胞内に入る。 従ってウイルスのS蛋白質と感染細胞表面の受容体ACE2蛋白質、TMPRSS2酵素の関与する反応を如何にウイルス感染の予防・対策に生かせるかが、治療と予防にとって大きなカギになる。Jun Lan らの研究によれば、新型コロナ・ウイルスと同様にヒト細胞に感染するSARSウイルスのS蛋白質に対する抗体を作った所、SARSウイルスのS蛋白質とACE2受容体との結合は妨害し抗体は有効に働いたが、この抗体は新型コロナ・ウイルスとACE2受容体との結合は妨害せず不活性で、ワクチンとしては使えなかった。このように、S蛋白質のACE2との結合ドメイン(RBD)のわずか4個のアミノ酸の違いがウイルスの感染力や抗体の機能を左右する。
 東京大学医科学研究所の井上純一郎教授らの研究(5)では、従来、急性膵炎等の治療薬として開発された薬剤ナファモスタット(商品名フサン)がコロナ・ウイルスのS2蛋白質を分解・活性化する細胞表面のTMPRESS2酵素を阻害することから、2012年に中東地域で流行したMERSウイルスのS蛋白質とヒト細胞受容体ACE2蛋白質との結合を阻害すると考え、培養細胞で実験した結果、ナファモスタットがヒト細胞へのMERSウイルスの感染を予防するという論文を発表した(6)。今回、新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2のS蛋白質も同様に細胞のTMPRESS2酵素で分解され活性化することから、気道上皮細胞由来の培養細胞を使って同様の実験をしたところ、ナファモスタットはMERSウイルスの場合よりも更に低濃度(1〜10nM)でウイルスの細胞感染を阻害できた(5)。ドイツで開発された同様の膵炎治療薬カモスタットでも同様の実験が行われ同様の結果が得られた(7)が、ナファモスタットの方がカモスタットよりも10分の1の濃度で感染を阻止した(5)。
 こうした既存の抗ウイルス薬などの多くは細胞レベルでの実験や臨床実験が行われて経験が積まれており、利用できれば経済的にも有益だが、抗ウイルス作用のメカニズムが明らかでない場合が多く、混乱の基になっている。例えば米国のトランプ大統領が服用しているとして話題になった抗ウイルス薬ヒドロキシクロロキンはマラリアやエボラ出血熱の治療薬として開発されたもので、新型コロナ・ウイルスにも効果があるのではないかと話題になり、国際的な医学雑誌Lancet やNew England Journal of Medicineにもその有効性を示す論文が掲載されたが、その有効性のメカニズムについては不明確のままで、最近になり新型コロナ・ウイルスの患者には副作用も大きい事から、これら二つの論文は著者らにより撤回された(8)。更に最近、英国政府の支援を受けたRECOVERYという団体(オックスフォード大学が主導)が、新型コロナ患者でヒドロキシクロロキンの投与を受けた1,542名と投与されなかった患者3,132名について詳細な分析を行った結果、投与の効果は全く見られなかっただけでなく、投与された集団の方が重篤になり死亡率が11%も高かった、という報告をした(21)。
 最近、中国の北京バイオテクノジー研究所のFeng-Cai Zhu等によって新型コロナ・ウイルスに対するワクチンが開発され、世界で最初の人体実験が行われた(9)。この著者らは新型コロナ・ウイルスのS蛋白質を作るDNAを合成し、複製機能を破壊したアデノウイルス5のDNAベクターに挿入した。ゲノム編集技術によるDNAワクチンである。これを感染させれば細胞内でS蛋白質のみが合成され、それに対する抗体が出来る。論文の著者らは18歳から60歳の健康な被験者108名を3つのグループ(低用量、中容量、高容量、各36名)に分け、それぞれの筋肉に濃度の異なるDNAワクチンを注射し28日間にわたって観察した。詳細は省略するが、血液を採取しS蛋白質濃度やそれに対する抗体、抗体を作るT細胞、被験者の健康状態などを調べた。注射後7日目位から抗体が出来はじめ、28日目には低用量集団(97%)、中容量集団(94%)、高容量集団(100%)にS蛋白質に対する抗体が出来ていた。新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2自体に対する中和抗体保持者は50%〜75%だった。一方で、被験者には注射後7日目位から疼痛や発熱、頭痛、筋肉痛など様々な副作用が現れた。論文の結論は「アデノウイルス・ベクターによるDNAワクチンの実用には更なる研究が必要」である。こうした研究は現在世界中で急ピッチで行われている。

(4)スパイクS蛋白質の突然変異による感染力の拡大―アジアとヨーロッパは何故違うのか
 新型コロナ・ウイルスは当初、中国の武漢に始まり次第に世界中に広がった。しかし感染力の強さは中国や韓国、台湾、日本を含む東アジア地域とイタリアやイギリス、アメリカ等ヨーロッパとは大きく違い、その原因が何故かは謎である。文化の違い、等とうそぶく日本の大臣もいてこの違いの原因は国際的に大きな話題となっている。勿論、中国や韓国、台湾などがSRASウイルスの感染経験から速やかな対策を取った事も感染縮小に大きな影響があったことは事実であろう。
最近、アジアとヨーロッパにおける感染の違いを科学的に裏付ける研究が相次いで発表されている(25、26、27)。アメリカ・フロリダ州のスクリプス研究所(世界最大の非営利生物医療研究機関)のLizhou Zhang らは、これまでに解明されたSARS-CoV-2の1273個から成るスパイクS蛋白質のゲノム解析の膨大なデータ(GenBank)から、細胞の受容体ACE2に結合するスパイクS蛋白質のS1サブユニットの結合ドメイン(RBD)とS2サブユニットの境界にあるN-末端から614番目のアミノ酸が、感染当初(2020年1月)はアスパラギン酸(D614)だったが、時間が経つにつれて次第にグリシン(G614)に変化している事実を発見した。それによると突然変異(D614G)の割合は、2020年1月(0%)、2月(0%)、3月(26%)、4月(65%)、5月(70%)と次第にG614の割合が増加していた。この突然変異の経時的変化はアジアからヨーロッパへの感染経路の変化に対応している。この事実に基づき彼らはゲノム編集で作ったマウスの白血病ウイルスに新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2のS蛋白質を付け、D614と突然変異型G614を入れた偽ウイルスを作った。これをヒト胚性腎細胞(HEK293T)に感染させ、感染率を観察したところ、突然変異型G614のスパイクを持つウイルスの感染率は非突然変異型D614のスパイクを持つウイルスよりも感染率が9倍も高かった(25)。その他の実験を重ねて、このスパイクS蛋白質の突然変異(D614G)が明らかにウイルスの感染力強化に関与していることを示した。同様の結果はインド各地での感染ウイルスのスパイク蛋白質の分析からも示されている(26)。こうした新型コロナ・ウイルスのスパイクS蛋白質の突然変異と世界各地の感染率の割合との関連を調べた研究もある。アメリカのロスアラモス国立研究所のKorber B1 等(27)はこれまでにDNAの全構造が解析された世界中の新型コロナ・ウイルスの4535個のゲノム・データからスパイクS蛋白質の突然変異を比較した。それによると当初のD614と突然変異型G614の割合(D614:G614)は世界全体では、2020年3月3日(4%)、3月25日(30%)、4月3日(46%)、4月13日(56%)と短期間に突然変異型が急速に増加していることが分かった。これを国別にみると3月以前は中国も含めて日本、台湾、上海、シンガポールなどアジアとカナダ、アメリカでも殆どがD614の非突然変異型だが、イタリアでは多くが突然変異型G614だった。イギリス、フランス、オランダ等ではD614とG614が混合している。その割合が3月以降は中国とシンガポールを除き、ほとんどが突然変異型G614に変化している。これらのことから感染率の違いは中国から始まったD614型がイタリアやドイツ等ヨーロッパでG614型に突然変異し、これがアメリカにわたって急激な感染を起こした、と見られる。因みに日本では感染が爆発した2月半ばから3月にかけては100%がD614型である。様々な対策の結果、感染が大幅に減った3月以降の新たな感染者は逆にほとんどが感染力の強いG614型である。このようにウイルスのスパイクS蛋白質の特定のアミノ酸配列の変化(突然変異)がこれまでの世界の感染率の違いに反映している。しかし、5月以降の世界の感染者のウイルス・スパイクS蛋白質の殆どは感染力の強い突然変異型G614であり、対策がおろそかになれば第二次パンデミックになる危険性は十分あると考えなければならない。

(5)新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2の新たな侵入経路と薬剤
 これまでSARSウイルスの研究結果から新型コロナ・ウイルスのスパイク蛋白質(S)の感染細胞の受容体は専らACE2蛋白質と考えられてきたが、新型コロナ・ウイルスには細胞への新たな侵入経路も存在する事が分かった(10)。 細胞表面にある糖蛋白質CD147、別名バシジン(Basigin)は1990年に鹿児島大学で発見され、皮膚の悪性腫瘍の増殖や糖尿病、腎臓・肝臓の機能障害にも関わっていることが分かっているが、この分子が新型コロナ・ウイルスの受容体としても機能している事が分かった。この論文の著者である北京理工大学のKe Wangらは培養細胞を使った実験で、新型コロナ・ウイルスSARS-CoV-2がヒト細胞表面のCD147に結合し、ウイルスの細胞内侵入と増殖を促進することを発見した。同時に抗CD147モノクローナル抗体(メポリズマブ:Mepolizmab 商品名:ヌーカラ)がCD147受容体へのS蛋白質の結合を阻害し、ウイルスの増殖を抑えることを発見した。メポリズマブは従来、重症気管支喘息やアトピー性皮膚炎などに使われてきた医薬品で、様々な臨床試験や安全性テストは既に行われており、今回、新型コロナ対策として利用できれば大きな成果となる。規模は小さいがメポリジマブを使った新型コロナ患者に対する人体実験も行われた(11)。それによると、39名の新型コロナ感染患者を二つのグループに分け、片方の患者にメポリジマブを投与した。28日間の観察の結果、体内からの新型コロナ・ウイルスの消失期間は、メポリジマブ投与群が3日、非投与群が13日で投与群に大きな副作用はなかった。しかし、実験規模が小さく更なる検証が必要である。
 更に最近の研究で、新型コロナ・ウイルスが侵入する3つ目の経路となるスパイクS蛋白質受容体がイギリス(22)とドイツ(23)で発見された。細胞表面のニューロピリン‐1(Neuropilin-1:NRP1)とニューロピリン‐2(Neuropilin-2 : NRP2)いう糖蛋白質で、この蛋白質はACE2と同様、細胞膜を貫通しており、血管形成や腫瘍の発現・増殖、更には神経伝達にも関与していると考えられている。ドイツのミュンヒン工科大学のLudovico Cantuti-Castelvetri 等(23)によれば、NRP1蛋白質は気道や鼻孔、食道、血管等の上皮細胞に多く発現しており、新型コロナ・ウイルス侵入の経路として大きな役割をすると同時に、ウイルスの神経細胞系を含む広範囲な感染にもつながる、という。
 スパイク蛋白質受容体のこのような多様性が新型コロナ・ウイルス感染が従来のウイルス感染とは違った広がりの原因と考えられる。同時に、受容体に結合するS蛋白質の結合ドメインの多様性は、S蛋白質に対するワクチン開発の困難さを予兆させる。

(6)新型コロナ・ウイルスの細胞内侵入後の反応:その1 遺伝子RNAの複製とその阻害剤
 細胞内に侵入したウイルスが最初に行うのは、自らの遺伝子の複製増殖と、それを使った様々な蛋白質の合成である。新型コロナ・ウイルスの場合、ウイルスRNA自身が蛋白質のアミノ酸配列を決めるmRNA(メッセンジャーRNA)も兼ねている。 この場合、RNAは+鎖RNAと呼ばれる。このRNAの増殖にはRNA dependent RNAポリメラーゼ (RNA依存RNA合成酵素)という酵素が使われる。この酵素はまずゲノムである+RNA鎖を鋳型に、それと相補的な塩基配列の−RNAを合成し、それを鋳型に+RNAを増殖する。RNAの原料となる塩基はアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、ウラシル(U)の4つで、これらは何れもリン酸が3個付いたトリリン酸の形で反応の基質となる。こうしたメカニズムを利用して、遺伝子RNAの合成を妨害する物質を抗ウイルス剤として使う。現在、その代表的なものとして「レムデシビル(Remdesivir)、商品名:ベクルリー」と「ファビピラビル(Favipiravir)、商品名:アビガン」がマスコミ等で取りざたされている。レムデシビルはアメリカで、ファビピラビルは日本で開発された。レムデシビルはRNAの構成成分の1つである塩基アデニン(A)の類似化合物、ファビピラビルは同じく塩基グアニン(G)の類似化合物である。その為、RNAポリメラーゼがRNA合成の際にアデニンやグアニンと間違えて取り込んでしまい、反応はそこでストップしRNAの伸長が止まる。その結果ウイルスの増殖は抑えられる。これがレムデシビルやファビピラビルの作用機作である(12、13)。この事から分かるように、レムデシビルやファビピラビルはウイルスの感染初期には効果があるが、ウイルスの増殖が起こってしまい重篤な症状が出た患者には使っても意味がない。また、こうした塩基類似物質の使用には大きな副作用が伴う事も忘れてはならない。何故なら細胞は生きている限り遺伝子DNAからmRNAをコピーし、それから必要な蛋白質を作っているので、その反応をも妨害してしまうからである。特に胎児や成長の盛んな幼い子どもにとっては、RNAやDNA合成の阻害は細胞分裂や細胞機能の妨害であり、先天異常や重篤な病気などの副作用は避けられない。

(7)新型コロナ・ウイルスの細胞内侵入後の反応:その2 主蛋白質分解酵素の反応とその阻害剤
 新型コロナ・ウイルスは細胞に侵入後29種類もの様々な蛋白質を合成するが、それには特徴的なプロセスが関与している。細胞内に入った遺伝子+RNAが最初に合成する蛋白質はORF-1(オープンリーディングフレーム1)と呼ばれる、様々な機能を持つ16個の酵素蛋白質が連結した巨大なタンパク質(orf1)で、それがまず合成され、その後に16個に切断されて初めてそれぞれの酵素が機能を発揮する。その巨大蛋白質を切断するハサミの役割をするのが主蛋白質分解酵素(Main-protease:Mpro)である。このMpro酵素はウイルス・ゲノムのORF-1領域にある遺伝子Nsp5から作られる。Mproはもう一つのハサミ酵素であるPLpro (papain like protease)と一緒に、ORF-1から作られる巨大蛋白質を分解し16種類の酵素を作る。こうした巨大蛋白質の生成とその分解によって増殖に必要な様々な酵素蛋白質を作るのはSARS やMARSも含めたコロナ・ウイルスの特長である(14)。コロナ・ウイルスの感染初期に必須の蛋白質であることから、MproのX線解析とスーパーコンピューターによる立体構造の解析からその活性部位を割り出し、それに基づいてこの酵素の阻害剤を作る事が出来ればウイルス感染対策の有効な薬剤になる事から、これまでに数多くの論文が発表されている(15,16,24等)。これらはあくまでもMproの立体構造に基づく理論的な阻害剤であり、細胞レベルや臨床レベルでの有効性と副作用などを検証しなければならないが、これまでの経験中心の薬剤開発とは大きく異なる。Linlin Zhangらの研究(16)ではα-ketoamide inhibitor 13bというMpro 阻害剤が開発され、ヒト肺細胞を使った新型コロナ・ウイルスの実験で10〜20μMという低濃度でコロナ・ウイルスの感染阻害効果が示された。また最近、上海工科大学のZhenming Jin ら(24)は、抗ガン剤カルモフール(Carmofur:5−フルオロウラシルの誘導体)は古くから悪性腫瘍の経口投与治療薬として使われてきたが、新型コロナ・ウイルスのMpro 阻害剤としての可能性を構造分析から推定し、ベロ細胞を使った感染実験でSARS-CoV-2の増殖を24.3μMの低濃度で阻害出来た。
 現在、Mpro 阻害剤の開発は急ピッチで進められており、新型コロナ・ウイルスのS蛋白質受容体との結合阻害剤の開発とともに臨床実験などの新たな段階に入りつつある。

最後に
 新型コロナに限らず、病気に対する治療や予防はその病気の発症メカニズムと密接に関連している。過去には古くからの経験的な治療薬や予防方法が大きな役割を果たしてきたが、それに伴う多大な犠牲があった。しかし、現在は蛋白質やDNA、RNAに限らず化学物質の立体構造が簡単に解明できる時代になり、新たな薬剤の開発や過去の薬剤の有効性などが理論的なレベルでも検証できるようになった。政治的思惑にとらわれず国際的な協力によって最も有効な治療方法や予防方法を速やかに開発しなければならない。
 この論考を書きながら偶然、新型コロナの治療・予防に役立つかもしれない天然物質があることに気が付いた。エモジン(Emodin)という物質で、伝統的な漢方薬に含まれ、緩下作用や抗菌作用、抗炎症作用の薬剤として使われてきた。ベンゼン環が3個結合したアントラキノンという一群の化合物の1つである。エモジンの前駆体であるアロインやアロイニンという物質はその名前から推察できるように、観賞用植物のアロエ・ベラやキダチアロエの果肉に含まれる。前述のように膨大な過去の薬剤のスーパーコンピューターによる構造検索で出てきた。台湾の研究者Tin-Yun Ho等は2006年に書かれた論文(17)で、エモジンがSARSコロナ・ウイルスの突起(S)蛋白質と感染細胞の受容体ACE2の結合をブロックする事を発見した。彼らは構造検索で可能性のある312種類の漢方薬の成分の中から32種類を選び、S蛋白質とACE2蛋白質の結合の阻害効果を実験した。その結果、エモジンがSARSウイルスのS蛋白質とヒト細胞のACE2受容体との結合を最も強力に阻害した(1〜10μg/ml)。彼らはエモジンがSARSコロナ・ウイルス感染の治療に使えるのではないか、と提起した。また、同じく台湾の研究者Cheng-Wen Lin 等はSARSコロナ・ウイルスの感染初期に重要な働きをするMpro 酵素の活性を阻害する効果を様々な薬草成分で調べ、アブラナ科のタイセイという植物(Isatis indigotica)の根に含まれるSinigrinという配糖体成分やアロエに含まれるエモジンがMpro の活性を阻害する事を発見した(18)。アロエ・エモジンがSARSコロナ・ウイルスのMpro酵素の阻害剤になるという論文はインドのVaishali Chandel 等(19)によっても報告されている。更にアロエ・エモジンがSARSコロナ・ウイルスの3a 蛋白質の働きを阻害するという論文(20)も見つかった。3a 蛋白質というのはコロナ・ウイルスが感染細胞内で増殖し、最後に細胞壁に穴をあけて出る際に働く蛋白質である。この3a蛋白質はMpro が細胞内に出来た巨大蛋白質ORF-1を分解して出来る酵素蛋白質の1つで、細胞膜にイオンチャンネル(カリウムイオンの透過率増加)を作り、そこから完成したウイルス粒子が放出される。エモジンがこの機能を妨害すれば完成したウイルスは細胞外に出ることが出来なくなる。
 このようにエモジンという単一の化合物が、コロナ・ウイルスの細胞への侵入に関わるS蛋白質や、細胞内で働く主蛋白質分解酵素、更には完成したコロナ・ウイルスの細胞外放出等、まったく異なる3つの反応を阻害する、というのは意外である。と同時にこれが確かな事実であれば天然の植物成分が新型コロナ感染の予防や治療に有効な手段に成り得る。なおエモジンはアロエ以外にもルバーブという植物にも含まれており、それを使った実験の論文もある。勿論、実際に実用化するには更に多くの実験と臨床試験が必要で、その副作用にも注意しなければならない。
 新型コロナ・ウイルスに対する予防や治療については現在、世界中で多くの研究が行われており、数年以内には薬剤やワクチンも開発される。その際、あくまでも感染メカニズムとの関係において、如何なる作用機作で効果が発揮されるかを明らかにする必要がある。それによって効果の程度や副作用の可否も判断出来るからである。


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