平成17年(ヨ)第9号 遺伝子組換え稲の作付け禁止等仮処分事件

原  告  山 田   稔 ほか11名
被  告  (独) 農業・生物系特定産業技術研究機構

債権者準備書面 (6)

平成17年8月3日

新潟地方裁判所高田支部 民事部 御中
債権者代理人 神山美智子他5名


債権者らは,債務者の準備書面(2)について反論するとともに,被保全権利に関する主張を,以下のとおり補充する。
第1
人格権に基づく差し止め
申立書及び債権者準備書面(5)で述べているとおり,債権者らは債務者に対し,人格権に基づき,債務者らの試験栽培の中止を求めている。
消費者としては,わが国の主食たるコメについて,食品安全性の審査を経ていない遺伝子組み換えイネが在来種と交雑したり,あらたなディフェンシン耐性菌が出現・流出することにより,これを知らずに食することによる将来の身体・生命への危険発生への不安,生産者にとっては,交雑した遺伝子組み換えイネの伝播により,在来種のコメを栽培できなくなることによる生活不安・生産意欲の減退が,さらには、人類や生物が持っている防御機構を打ち破るディフェンシン耐性菌の出現・流出により、人類その他の動植物に及ぼす重大かつ深刻な影響により、債権者らの人格的権利(幸福追求権)を侵害するものだからである。
 近時,人格権に基づく差し止め請求事件をめぐっては,生存の基礎となる水(生活用水や農業用水)が汚染されることによる生命・身体への危険の程度が,一般通常人を基準として,平穏な生活を侵害していると評価される場合には,侵害が公益的行為によるものであっても,その差し止めを認める裁判例が頻出している(仙台地決平成4年2月28日<判時1429−109>,熊本地決平成7年10月31日(判タ903−241>,福岡地裁田川支決平成10年3月26日<判時1662−131>,鹿児島地決平成12年3月31日<判タ1044−252>,前橋地決平成13年10月23日<判時1787−131>,名古屋地裁平成15年6月25日<判例時報1852−90>等)。
 当然のことながら,各裁判例においては,関係機関から適法に許認可を受けた公益施設の必要性の程度と,施設が建設されることによる危険発生(不安の程度,事後的回復の可能性)を考量し,差し止めの可否を判断している。
 本件においても,裁判所は,わが国の主食たるコメに遺伝子組み換え技術を応用することによる生命・身体への危険性の発生の程度と,本件試験栽培の必要性,有用性を慎重に考量し,差し止めの可否を判断することとなろう。
 しかし,本件で留意しなければならないことは,債権者らが主張する危険は,新たな科学技術の開発にともなう未知なる危険・不安であるから,在来型の旧知の危険の発生可能性に対する差し止めと同様の枠組みで,危険発生について高度の疎明を求め,これを前提に本試験栽培の可否を判断するならば,科学技術の安全性を軽視した開発優先,産業優先に陥り,これまでと同様の失敗を繰り返すだけになるということである。
 効率性,利便性を求める技術開発は,旧来の生態系の秩序や調和を乱すことにより得られるものであるから,意図した撹乱により意想外に発生する反発を慎重に予測する必要があるし,それ以上に,そのような危険を冒してまで獲得しようとしているものそれ自体の価値について冷静な分析が求められる。
  かつて,「奇跡の材料」ともてはやされた石綿は,その奇跡が,国民の健康に負の反発をもたらしていたにもかかわらず,産業優先思考の結果としてこれが放置され,現在,回復不可能な損害状態を周辺住民に強いていることは,マスコミ報道のとおりである。
第2 債務者の主張の問題点
 しかるところ,債務者は,準備書面(2)においても,債権者らが準備書面(5)の第2、事実関係の整理の3、第1の問題点(4頁以下)で、具体的に指摘する本野外実験が室内実験から野外実験に移行するために本来解決しておかなければならない重要な安全性・問題点について1つも反論をしないまま,イネの交雑は「理論的可能性自体」がなく,しかも本実験では,3重の交雑防止措置が取られていると主張し,債権者らの指摘する危険性は,「主観的不安」(根拠のない不安という趣旨か)にすぎず,債権者らの無理解による本申立は「非常に遺憾」とまで述べている。しかし、債権者らが上記問題点を裏付けるためにこの間提出した証拠は,すべて科学者及び農業従事者の意見に裏打ちされたものであり,債務者との見解の相違は,科学的真実の見極めた方の相違と考えている。これを主観的不安とか無理解で片付けようとする債務者こそ,池内教授が指摘される科学者のヤバン性(疎甲24号証)に陥っているものと思わざるを得ない。
 債務者が主張する交雑防止策については別途述べるし,防止策についての債務者の主張の変遷についても項を改めて論じるが,債権者らが本実験で危惧していることがらの重要なものの一つに,「ディフェンシン耐性菌」の問題がある(債権者準備書面(2)の11頁以下,同(5)の4頁以下)。
債権者らは,債務者の職員が執筆した疎甲23号証の論文に「ディフェンシンに対する耐性菌が出現した報告」がある事実を述べ,本野外実験においても、実験場の田の水の中にディフェンシン耐性菌が出現する可能性を指摘した(金川陳述書2〜4頁。疎甲19)。再度、この点を敷衍して述べれば、
GMイネは湛水して栽培するので、イネの茎から漏出したディフェンシンが水に溶けて、茎の傍ではディフェンシン濃度が高く、離れればディフェンシン濃度が低いという状況ができ、これはディフェンシン耐性菌の出現にとって好条件になる。疎甲23号証の論文では,ディフェンシンを入れて微生物を培養するだけで、ディフェンシン耐性菌が出たとされていることから,今回の実験でも、ディフェンシン耐性菌の出現は避けがたい筈である。
一般的に、抗菌剤について、いきなり高濃度の薬剤にさらすと、菌が死ぬ確率が高くなるが、抗菌剤の濃度が高いところから低いところまで勾配(濃度勾配)が生じておれば、低い濃度のところで生き残るものがいて、この中から濃度の高いところでも生き残るのが生じてくる可能性があり,その結果、耐性菌の出現の確率を高めることになる。したがって、今回の野外実験のように、圃場の水の中に、ディフェンシンの濃度勾配ができる場合には、耐性菌の出現を一層容易にするのである。
また,人が実験区域内に立ち入ると、P4の施設で無い限り実験区域内の微生物を靴やズボンなどに付けて持ち出すおそれもあり,それによって、ディフェンシン耐性菌が施設外に出て、その耐性遺伝子が外の細菌に受け渡される可能性も考えられる。
さらに、自然の大雨、洪水、台風などによっても、容易にディフェンシン耐性菌が本野外実験場外に流出する。
しかるに、債務者の主張を見る限り,このように出現し,本野外実験場外に伝播、流出する恐れの高いディフェンシン耐性菌に対する対策はゼロといっても等しく(なぜなら、そのためには、イネへの対応・始末でなく、土壌や水や人の出入りを適正厳重に管理する必要があるのに、具体的にディフェンシン耐性菌の伝播、流出に対する対策は何ひとつないから),債権者ら(のみならず人類及び動植物の生態系全体)にそのような重大極まりないリスクを負わせてまで本実験を実施する必要性,有用性は全く疎明されていない。
第3 債務者の交雑防止策について
 「交雑が発生する理論的可能性がない」という債務者の主張は,農業の現場に日常的に交雑を経験している農業従事者からすれば,余りに非現実的な理論といわざるを得ない上,その他の主張部分も首を傾けざるをえないものが枚挙にいとまがない。
 たとえば,GMイネの開花予測時期の点である。債務者はみずから答弁書でGMイネの開花予測時期を8月20日から9月3日としていながら、ここにきて、変更の根拠を示さないままいきなり「過去のデーターから8月24日と想定される」と主張を修正してきた。
 思うに、周辺イネの開花時期との間隔を広げるための主張と思われるが,出穂期を8月24日の一日だけに限定すること自体,稲作を知らない証であり,論外の論といわざるをえない。
ちなみに,星川清親(ほしかわきよちか)著の「新編 食用作物」66頁以下には,
「出穂:1株全体の茎が出穂を終わるのに約1週間、圃場全体では約2週間を要する。ふつう、圃場の周縁部の株が最初に出穂する。これを出穂始めといい、圃場全体の50〜60%が出たときを出穂期、そして90%が出穂したときを穂揃期と規定している。」,「開花:一般に出穂直後または出穂途中で開花が始まる。1穂の全花が開花し終わるのには4〜10日、平均7日を要する。」
と記載されている。
 また,「上越地域の平成17年度の田植えは5月22日で終了しており,周辺農家のイネの出穂時期は最もおそいものでも8月10日とされる」という点(別紙5)も,債権者らが僅か1日の間で調査した限りでも,上越市の農家で6月に入って田植えを終了した農家が散見されており,実態を無視した報告となっている。
  しかも,債務者はみずから答弁書では、「本件近隣農場のイネの予想開花時期は8月1日から15日」とされていたものが,上記のとおり,今回の書面では,何らの根拠を示すことなく,出穂時期は最もおそいものでも8月10日とされる」と変更している
 さらに,交雑防止の袋かけについても,債務者はみずから、栽培実験計画書(疎甲8の2頁末尾)、で,「組換え個体に袋掛けをするかまたは組換え栽培区を不織布で覆うなどして」と表明しておきながら,今回、変更の根拠を何も示すことなく,「組換え個体に袋掛けをし、なおかつ組換え栽培区を不織布で覆う」と修正してきたが,しかし、二重にも被覆措置を施してまでやる野外実験にそもそもどのような実験の目的・意味があるのか,誰しも疑問に思うほかない。
 ここから明らかなことは、今の債務者の頭にあることはただひとつ、本来の実験の目的をかなぐり捨ててでも、とにもかくにも野外実験をやったという既成事実を残すことにしかない――それは、取りも直さず、本来の野外実験の事実上の中止にほかならない。
 このように,債務者の交雑防止措置に関する主張は,あまりに場当たり的で,実効性に疑問が残るものである。債務者において人知を尽くして交雑防止措置を取ったとしても,それでも交雑の可能性を否定できないのであれば,本野外実験が室内実験から野外実験に移行するために本来解決しておかなければならない重要な安全性・問題点について全く対策が示されず、なおかつ本野外実験の有用性・必要性も極めて疑わしい本野外実験は即刻中止すべきである。
第4 まとめ
 BSE(狂牛病)問題を契機に,平成15年7月,わが国においても,ようやく「食品安全基本法」が制定された。
官と民の癒着と評価される食品不祥事の連続は,業者や食品行政(専門家の意見を後ろ盾にしていた)に対する信頼を失わせた。その結果,同法は,「食品の安全性」を判定する機関として,内閣府に独立した「食品安全員会」を設立し,専門家による科学的な「リスク評価」を実施させることとなった。すなわち,食品の安全性を,政治や経済に左右されることなく,科学的に分析,判断しようとしたわけである。
 しかし,消費者の,食品行政や生産・開発に偏向する科学者に対する不信は根強く,科学者が主張する「安全」と一般人が考える「安心」には大きな乖離が存在している。消費者は,日常生活における「安心」という精神的人格権を求めているのであり,これが,食品の分野に限らず「安全と安心」の問題として昨今の流行語となっているのである。それにもかかわらず,この乖離から生ずる現代の不安を,科学者側が,「一般人の『主観的不安』や『無理解』に起因する」と決め付けるのであれば,それは,ことの歴史,経緯を無視した無反省な謬見と言わざるをえない。
上記食品安全員会の委員である中村靖彦氏は,その著書「牛肉と政治 不安の構図」(文春新書)の後書きで,次のように述べている。
「最近は,科学が政治と行政のなかに加わった。・・・政治の動きは,この科学の前に少しは変わってゆくのだろうか。変わってゆくとすればそれは,科学者が日本のいろいろな立場の人に信頼されているかどうか,にかかっているのだろう。これまで,科学,あるいは科学者が必ずしも信頼を得る行為だけをしてきたわけではないことを拭い去って,社会に貢献する存在になることが求められる。このような存在になって初めて,政治家も行政官も,そして消費者も一目置く科学になるだろう。お互いの緊張関係が,透明性を持って誰にでも分かるように示されれば,消費者不在のやりとりはなくなるはずである」
 本野外実験は,消費者や周辺農家不在のものではないのか,欧米の主食たる小麦についてGM開発中止の抗議行動が起きるのと同様,わが国の主食たるコメについて,危険性についての解明が十分になされず,その防護策も不十分で,有益性に乏しい実験に反対運動が起こるのは,自然の道理ではないのか,この実験は,いま,科学及び科学者に問われている理性の本質を理解しないことには解決しないし,その本質を理解しなければ,これまでと同様な過ちを繰り返すだけの結果となる重大な可能性をひめている。

以 上